中学校

中学校

 

小学校を卒業してから中学高卒業までを書いていきたいと思います。小学校に比べたら嫌なことが多く印象に残っていることも少ないので、今回で中学校のことは書き終わるかもしれません。もうネタ切れ館満載ですがお付き合いいただければ幸いです。

小学校卒業後、私と付き合いの深い友達が中学校に呼ばれて話を聞かれたそうです。やはり私のことで、どんな風に画工生活を送っていたか?トイレ、移動教室の時はどうしていたなどを話したそうです。私は、中学校生活は大丈夫かなという不安に思っていました。なぜなら、2つの小学校から来るからです。私が通っていた小学校出身は「、私のことを少しは知ってくれているから大丈夫だろう」と思っていました。その当時から、車いすで外出すると物珍しいものを見るような目で見られていたのです。しかも小さい子が興味本位で振り返ってまで見たとしても理解できるのですが、大人が振り返ってまで見るのには納得できませんでした。仮に「大丈夫だろうか、手助けをしようかな」という思いで見られるのなら、いいのですが道で会う大人はそうではありませんでした。なぜそう言えるのかというと、お子さん連れで、お子さんには見ないのと言わんばかりに手を引いて動き出したお子さんを見るのではなく親の目は私を見ていて、今度はお子さんに手を引かれて歩きながらでもまだ顔は、私の方に向いている状態でした。皆さんどう思われますか?やはり、私の考えすぎとおもわれますか?もしそうなら、自分の周りの人のいいところを見つけてほめる生活に少しずつでも変えてくださいお願いします。そうしなければ、皆さんの大切な方が私のようにマイナス思考になってしまいますよ。私はできない点をしつこく家で言われていたので「私ができることは誰でもできる。喜んではいけない」と自己肯定感ゼロどころかマイナスの人間ができます。繰り返しになりますが、皆さんはいいところを見つけながら生活してくださいお願いします。

 入学式5日前くらいだったと思いますが、担任という人が、家を訪ねて来られました。合った印象は「熱い人なのかな?年齢はもちろん違いますが、松岡修造のような感じに思えました。「どんな子か気になってしまって、待てなかったから来ました。安心学校に来てね。」と。それで少し安心できたのは事実です。その二日後に今度は、友達と一緒に職員室に呼ばれたのです。そこで話したことはおぼえていませんが、手すりの位置などを確認したりしたと思います。入学式の前日電話がありました。「明日入学式やな」と小学校の担任でした。その電話で最近あったことを話したらすかさず「お前何した入学前に呼び出しとか」とからかわれました。

 私の通った中学校は部活動に必ずはいるという学校でした。そこで私は、バスケット部を選びました。今考えれば、無謀だったと思いますが、当時は小学校での楽しいイメージがあったのです。しかし、それはすぐに消えました。そもそも1年は、体力づくりが主だったので、みんなが走っている間は私も歩行器などで歩いていました。そしてみんなが、ボールを使った練習に入っても私は変わらず歩く練習。こんな感じが続いていました。学年が上がっても私は、カヤの外かんがあったので行かなくなりました。授業で体育はするのに、部活はさぼる。そんなことが続いたある日顧問が「体育はするのに部活はしないのはおかしくないか?」と言われたので体育も見学をしばらくしていたら、「体育参加しなさい、部活は休んでいいから」と顧問でもあり、体育担当の先生から言われ参加するようになりました。この出来事だけでもすごいと思いませんンか? 一般的には見学している方が、けがもなく安心のはずがそれでよしとはせずに参加させるためにどうするかと考えてもらったのです。しかし、授業に参加するだけでは、満足していない人がいたのです。そうクラス担任です。クラスの中に5から6グループに分けて授業など受けていたので、私が入っているグループの友達が「なぜいかないのか」など色々聞かれたので正直に「僕は、いないものとして扱られている気がする。私だけユニフォームがない。」など言うと「気のせいでは?メンバーしかユニフォームないのでは?危ないからでは?」など言われるのでまた反論したら、「わかった。聞いてみる」と言って顧問にその中の一人が聞きに行ったのです。すると「あなたが言っていたことも一部は合ってるみたい。でも危ないからという理由もあるみたいよ。だから譲らないといけないところはあるよ。」と私に教えてくれたのです。さらに後押しをしたのが、クラスは違いましたが度々登城する友達です。「俺はお前もチームの一員と思っているから心配するな」と言われて部活に行くようになりました。この人物は最初はけぎらいしていたあの人です。部活に行くようになってからは、シュート練習のパス出しやゴールした以外の所でミニゲームに参加したり、審判をさせてもらったり、それ以前に感じていた疎外感はなくなりました。やはり、私がいないときの練習試合は全員に出たりしていたようです。後日連数に行くと「お前もくれば出れたかも」とか言われて少しは羨ましいと思いましたがそれはあえて私がいない時を狙ってあるのは気づいていました。部活で一番嬉しかったのは、地区大会までは、ベンチのそばで応援させてもらえたこと、練習のパス出しやアドバイスをくれと聞きに来てくれたり、私の言うことを聞いてくれたこと沢山ありますが、驚くことが2つありました。最後にそれを書きたいと思います。

1つ目

最後の大会が2か月先ぐらいに迫ったころだったと思います。いつものように、パス出しをしていると、顧問が私の所に来て「今度の大会少しでもコートに入れないか大会本部にお願いしてみる」と言ってくれたのです。これはすごいことです。最初は冷たい感じの先生が掛け合ってみるとまで言ってくれたのです。その気持ちが本当に嬉しかったのと人はここまで変われるのかと驚きました。ただ私が決めつけていただけかもしれません。

2つ目

これも最後の大会のことですが、この年はなぜか強かったので、楽に地区大会まで進みました。それもほとんどの試合20点差以上付けて勝ち上がってきていました。この試合に勝てば県大会に進めるというとき、なぜか10点差で負けて前半終了。私は勝てるという変な確信がありました。なので、前半の点差は後半で追いつけるし、いつもの感じでやったら逆にこの点差つけれる。」だから後半は、落ち着いていくのと、前半と違うことしていこうと一人でアドバイスしていました。何が良かったかわかりませんが、どんどん追いついていきました。そして最終的には逆転して県大会進めることになりました。この勢いで地区大会も優勝できました。

後日、学校で報告会見たいものがあり、その中で驚くことがありました。キャプテンが結果を報告して終わろうとした時でした。違う部活の顧問が「県大会の出場を決めた試合の監督が、前半と後半で別のチームみたいだった。車いすの子にやられた」と言っていたと聞いた時、応援だけでも評価されることがあるのだと驚きと同時に嬉しくなったことを今でも覚えています。