中学校生活

生い立ち

今回は部活以外のことを書きたいと思います、私の思い込みもあります。私の担任になってくれた先生は独特な考えを持っていました。なぜそう思ったのかを書きたいと思います。その先生、差別問題に関心が強い方でした。それだけ聞くと素晴らしい先生に思われるでしょう。前のブログで書いたように、熱血先生だったので夢中になりすぎてこんな感じです。

ある種の差別について、授業をそっちのけにして道徳の授業に早変わりしてしまいます。自分の思い通りにならないと気に食わない節があるのです。それで大変な思いをしました、

これは修学旅行の話です。私たちの時は新幹線の予定が、フェリーで大阪まで行って、帰りは日程の関係で飛行機を使うという日程に変更されました。そのフェリーでの中で集合時間に遅れたり、騒ぎすぎの面は多少ありました。そんな状況を見てのことでしょうが、班の代表者が広場に集められ開口一番「大阪に着いた。もう帰る。お前たちは学校のなめを背負っているのだから、お前たちの行動が悪ければ、悪い学校とみられる。」など30分以上もお説教が続いたそうです。それを聞いてどちら評判を傷つけているのだろうと今でも思い出します。

修学旅行で初めての経験をしました。ここから少し思い出を書きたいと思います。私たちの日程は、フェリーで1泊して京都で2泊して伊丹空港から帰る。3泊4日でした。印象に残っているのが2つあります。1つ目はグループで市内観光をしながらチエックポイントを通って時間内にゴールするゲーム形式のグループ行動。2つ目は、初めて乗る飛行機でした。フェリーで大阪について、奈良公園や大仏を見学した京都の宿に向かったような気がします。ホテルの人にみんなとは、違うルートで案内してくれたのです。そのときは「みんなと違う場所を通れてラッキー」としか思っていませんでした。厨房みたいなところを通って行ったのでその気持ちが強かったのです。夕食を終えて「明日のグループ行動について説明するからグループごとに集まって」と言われたので集まって説明が終わりました。ほかのグループと同じように戻ろうとした時です。私たちのグループだけ呼び止められてこう問いかけられたのです。「何で私だけが別ルートに案内されたのだと思う?」と、するとみんなが、「段差がってスロープがないから」と答えます。また担任が「それも一つある。でもなぜ一番にホテルの人は案内したのだろう?」とさらに続け、自分の考えを言われるのです。「恥ずかしいと思うものは、見えなくスマートに対応する場合がある」と、そのとき私は、やはり恥ずかしいものなのかと思って嫌な気持ちになってその日を追えました。

市内観光の日です。学校で何処を周りたいか、どの順番でいくなど話し合った通りに行こう!と出発しました。初めての場所で、不安と楽しさが同居していました。これはどのグループでもあったと思います。しかし、私のグループのみ特別な経験をしたはずです。なんだと思われますか?そうです。車いすで公共交通機関を利用する。そしてそれに付き添って行動するという経験です。今は私の家の近くにも見かけるようになりましたが、当時はそこが初めて見たものでした。車いすマークのついたバスでした。最初乗車するときは、運転手さんに「車いすの友達が乗るので少し待ってください。」とお願いしたら運転手が、「このマークがついたバスは後方にあるスピーカーに向かって話してくれたらいいよ。ちょっと待ってねスロープ出すから」と言って出してくれました。初めてそれで乗車しました。そのバスの乗客の皆様は、私から分かる範囲では優しく対応してくださいました。たしか「予約は」などきつく言われたような気もします。しかし修学旅行中はフェリーの中以外は楽しい思い出です。周った場所は、銀閣寺、巨水寺、銀閣寺などを周れました。

 2つ目に印象に残っているのが、飛行機に乗ったことです。

初めて乗るということもありましたが、搭乗手続き後みんなより早く係の人が来て「先に別の場所から案内します。」と言われて、みんなより少し早く私と仲のいい友達(別のクラス)が動き出して、どこを通るのか興味津々でした。移動中係の人が、「修学旅行で飛行機使うのはすごい」としきりに言われていたことを思い出します。倉庫していると、関係者入り口のような所に着きました。そこで待ちました。するとその扉があき進んだ先に、制服姿の方が数人エレベーターを待ってありました。その方々より先に上がりました。そうです通ってきた場所は、職員通路でCAも使われていたようです。中学生の私にとってはCAさんに遭遇できたことはとても嬉しい出来事でした。

私が受けた授業などについて少し書きたいと思います。私達のころの流れか、私が行っていた学校だけかわかりませんが業者の作った問題や実力テストが全くありませんでした。定期テストは担当の先生が作る方法でした。

私は相も変わらず、成績は悪かったですが、得意なところもありました。数学は計算問題。後は公民ぐらいでした。理科は急激に落ちました。おそらくですが、小学校のように目で見れるところが少なくなったからではないかと思います。文書から数値を読み取るのが超苦手でしたので、さらに拍車がかかったのです。威張れたものではありませんね。今は小学校から始まりますが、私たちのころは中学からでした。英語です。これは私からすれば、地球に存在するのかというくらいちんぷんかんぷんでした。当然テストの点数も散々でした。ほかのテストは点数良くはないのですが、びりではなかったと思います。印象に残っているのは、期末の体育と公民、2年の時英語です。

体育は、期末のみペーパーテストがありますよね。それが期末の得点源でした。公民になると急にトップクラスの点数を取れたのです。なぜだろうと考えると、この2つに共通するのは実際に経験したり、聞いて覚えられるということだと思います。体育の場合は、スポーツを理解するためにルールを覚えたら、審判させてもらえたりして楽しいと思えたからだと思います。 公民は、テレビでニュースを見たりしていたので、教科書などを見なくても先生が授業で言われることが理解できたので点が取れたのだと思います。

今でも不思議なのが英語です。担当の先生が何かの事情でお休みされるため代わりの先生が来られて授業が始まるとなぜかはわかりませんが、得点が平均点は取れるようになりました。グループ学習形式で、勉強できる人、そうでない人、中間の人をバランスよく構成グループなのです。そのグループでできる友達が「どうしたの?急に点数良くなったね。カンニングした?」と大げさに驚く始末。3年になってまた先生が変?今度は急降下じゃん?」とまた驚いていました。その友達が「先生が違うだけでこんなに違うのか」と力説していました。

今思えばやはり、その人に会った勉強法と、周りの人の協力があって初めて成長するのではないかと思います。次のブログで私の経験したことを書いていきたいと思います。

ここまでお読みくださった皆様本当にありがとうございました。