小学校の思い出2

小学生

 

今回は、テストのことなどごちゃまぜになりますが書きたいと思います。恥ずかしいですが全て書きたいと思います。

まずは、テストです。低学年の間は、業者が作っている問題でも授業を聞いていたらそれなりに点はとれていました。低学年のころ印象に残っているのは、3つです。皆さんから見ればずると思われることもありますが、それは、大目にみてください。よろしくお願いします。

1つ目

「あなたは、テストの本文読んでないでしょ?これから先は点数を取るということは難しいと思うよ。」と言われたことです。これはのちに最悪の形で実現します。(涙)その時のテストは1問だけ間違ていました。テスト返却時に「この解答を書く前の解答だったら満点だったのに」と言われた後に先ほど書いたことも言われました。放課後母にも同じことを話していました。しかし、私の時はなかった話がありました。「全部覚えて怒れることはすごい。でもテストという中では中々評価されないと思います。」と話されていたと私は記憶しています。それを受けてのことだと思いますが、帰宅後「あんたは書くのが時間かかるから、書くより授業をしっかり聞きなさい。」と言われて私はへこんでいるのにさらに「あんた問題の文だけ読むのじゃなくて、本文も読みなさい。そうしないと点取れない。」と追い打ちをされました。少し話変わりますが皆様にお願いです。皆さんは、褒めるを7、注意を3にしてあげてください。根拠や信頼という点では全くない私ですがこれだけは断言します。そうしないと私のように超マイナス思考の自己肯定力ゼロの人間ができます。皆さんは楽しい毎日を送りたいですよね?それはやはり、相手を褒める量を増やすことです。ほめようと思って相手を見ると、せめて心が少なくなると、気持ちもおおらかになるのではないかと思います。マイナス思考の私が言っても共感していただける方はいないと思います。語弊がありますが、みなさんが、実験してみてください。悪くするなら皆さんは嫌でしょうが、よくする方なのでぜひやってみてください。ザ・他力本願です。

2つ目

低学年の時は、漢字を私としてはきっちり書いているつもりですが、すき間があった手はいけないのにそれがあるように見える。はねが不十分だったり、厳密に言えば得点にできないものも点数をいただいていました。先生たちは親に「しっかり止めやはねをしないと点数もらえませんよ。私たちは本人の状況とかわかっているから、対応できますが、知らない人なら間違いとするから正確に書いていないものは次から間違いにしますね。」みたいなことを言われたようです。今となっては、先生たちが言われことは理解できます。その当時、なぜそんなことを言われて急に間違いとされるのかわかりませんでした。

また話をずらしますが、文字を書いたり、読んだりするのが苦手だった私でも勉強することはありました。そんな時、漢字の書き方を聞くと書き順などはあまり教えてくれず、とりあえずその形のようにかければいいという感じでした。そんな環境で成長したので、急に間違いにされたのが本当に不思議でした。それより不思議だったのは、急に対応の変わった家族です。それ以降は「漢字は正確にか基準通りに書きなさい。」というだけ。色々聞いても教えてくれず。間違えたところは強く注意される。こんな環境に急に変わりました。また皆様にお願いです。最初に覚えたことを途中から変えるのはとっても難しいので最初から難しくても正しいことを根気よく教えてあげてください。そうしないと後で書く悲劇に遭います。

3つ目

宿題は一応していました。今思えば大目にかなり見てもらっていたかもしれません。高学年の時は、漢字200字が宿題のうちの一つでした。それでずるをしていました。漢字は私が書いて、読み仮名を母に書いてもらっていたのです。先生は、それをわかったうえでのことだったのでしょうが、あと時から放課後漢字を書いて下校するようにしようと言われクラス全員がそうなりました。そうなった理由は、数人が宿題をしてこないから。というものでした。そこで改めて私は友達とは違うのだと実感するのです。速い人は、15分で終わって下校する。そうでなくても30分もすればみんないないのです。私が、終わるのは早くて50分。かかるときは、1時間30分ぐらいでした。同じ漢字は3回までというルールだったのですがそれを見て先生が「お前は1行同じ漢字をかいていい。」と配慮。一つ悲しい出来事が、漢字を選んでいたとき「お前の名前の漢字を練習すれば」と見本書いてくれたのです。私はショックでした。そのころ国語のテストで逆満点を取ったり、いやなことが続いていた上に自分では書けているつもりの名前を練習するからです。しかしここからが違います。「お前の名前の漢字は高学年で習う漢字。書き順通り書いて、まっすぐ書けたらかっこいいから」とフォローしてくれたのです。同じことを言うにしてもうちの両親とは大違いです。ですので、皆様も発言の仕方にはお気を付けください。

ここからは思い出です。6年のころの話です。

夏休みに担任の家に何人かで遊びに行くことになりました。教室で「遊びに来るやつは何人くらいか手を上げなさい。」と言われたのでおふざけで私も上げると、「よしみんなで私を一緒に連れておいで。水着も持っておいでね。プール行くから」と言われて行くことになりました。今も印象に残っているのはウォータースライダーです。先生が私を連れて上に行き、ほかの利用者が途切れたところをみはからい下にいる友達に「今からこいつが滑るから救い上げてやってな」と私だけ穴の中へ、無事したで救い上げてもらいました。最初で最後のいい経験でした。先生の家に移動している時に悪ふざけが始まりました。「先生は大丈夫かって止めたけど私が滑ると言ってきかなかった」と、ほとんど嘘なのです。実際は「今しか経験できんと思うよ。したでみんなが救いあげるから大丈夫。」と説得される感じです。切り返しになりますが、貴重な経験をさせてくれたみんなに本当に感謝です。

 貴重な経験をもう一つ書きたいと思います。卒業記念に日本一の石段を登ろう。保護者も含め希望者で行くということだったので、当然私は行くつもりはありませんでした。しかし、そのときは先生ではなく友達が「行くよね?来るだけでいいから。」と次から次に言われるのです。以前、私を嫌っていた友達まで。後から分かったことなのですが、先生は軽く言っただけで、友達が私を連れて行きたいと言ってくれたそうです。そんなこんなで、参加することになりました。石段の下でみんなを待っているものと思っていましたが、なんと上りは、友達と保護者の方が背負って連れて行ってくださいました。本当に感謝です。

先生は本当に茶目っ気がある人でした。最後の社会の授業の時の話です。振り返りも兼ねてクイズ形式でわかったら手を上げて先生がその中から指名して答える形でした。室町幕府で金閣議を立てたのは?という問題までは私も手御上げていました。銀閣寺を立てたのは?この問題は手を上げませんでした。しかし私が指名されたのです。その瞬間教室が笑いに包まれました。そうです字はt違いますが、読みは同じヨシマサだったからです。本当にメリハリの利いた先生でした。

 卒業式前日も急に家に来て「明日のリハーサルをするから顔を貸して」と言って連れていかれて本当にリハーサルをしました。卒業式当日は、ひとりひとり証書を受け取りに行く形式だったので私も受け取り行ったとき、校長先生が涙声で読まれるのです。それを聞いて「先生も定年だから?」と「私のことを気にかけていただいた」のだと思っていました。ちなみに担任だった先生は今校長先生をされています。何度も苦理解しますが、私を受け入れてくれた小学校には感謝です。合理的な配慮をいただいた事にも感謝申し上げます。こんな学校が増えてくれることを切に願います。

最後までお読みいただきありがとうございました。