いきなり続きを書きたいと思います。
家庭科
エプロンを作るという課題の時も型紙にあわせて切るのもなかなかうまくいきませんでしたが、なるべく自分でしなさいと挑戦させてもらいました、針も使わせてくれました。ですので、針で指で刺す経験もたくさんしました
調理実習にも参加させてもらって、ゆで卵や果物の皮むきも経験させてもらいました。もちろん、包丁でと言いたいところですがピイラーでした。包丁も握り方とかは教えてもらい少し使わせてもらいました。(手を添えてもらってでしたが)そこでまだ早いと思われたのでそれだったのだと思います。皆さんすごいと思いませんか?
30年近く前ですよ。私を受け入れてくれた小学校は本当に今考えるとすごいです。その当時の世の中は、障がいがあれば、隔離してしまって別世界の人間のように扱われていたというのが私のイメージです。もし違うようでしたらすみません。
図工
印象に残っているのは版画です。確か4年生までは紙で形を作って済を塗って画用紙に押す紙版画だったと思います。この学年からは、デザインを決めたら、紙で作るのではなくトレーシングペーパーに写した後、木に写して彫刻刀で彫る方式に変わったと思います。そのときも「気を付けて使いなさい。」と言われるくらいでした。私がわかる範囲では。今思えばですが、見回りの時に声をかけてもらうことが、多く、さらに作業が早く終わった友達が「大丈夫?」とよく声をかけに来てくれていたなと思います。先生が私に築かれないように、友達を近くにいるように配慮してくれていたのだと思います。こんな感じで挑戦と配慮が絶妙な先生でした。
道徳
「一杯のかけそば」や「笠地蔵」などの話やクラスメイトの中には、生まれてすぐ手術をしなくてはいけなかったらしくお腹に傷跡があることの話やじぶんたちが、存在するためにはどいう過程かなどもしておくべきとそのような授業もあったと思います。何度も同じことをかきますが、現在でもタブのように扱われていることの話題を、道徳のなで取り上げるのは本当にすごいと思います。道徳の中で、「私は」王様なのか?というド直球のテーマもありました。その中で先生が「自分の分かる範囲で今までのことを話しなさい。」とみんなの前で話なさい。」と言われたので、その当時、分かっていた。8か月で仮死状態で生まれてきたこと。小さいころから歩けなかったこと。手術したことなどを話しまいた。そのあとは。みんなが私に対して思うことを言いました。細かいことは思い出せませんが、「積極性がもっとあるといい」,[自分でできることを頼むことがある]とかだったと思います。少しはプラスなことも言われた気もします。でも覚えていません。このことでお判りでしょう。根っからのマイナス思考であるということが・・・。これをどうにかしないといけないとはわかっているのですが、どうしていいのかわからなかったので、苦手な文書作成や継続を出来たらいい方向に変わるかもと思って安易に始めました。
話を戻しますね。ある程度意見が出て先生が、「確かにお前は消極的で頼りやすい人に頼る傾向はある。今からお前も色々殻を破る必要はある。今からの話はみんなにも関係するからね。」と前置きをして話してくれたものが「チャンスの神様」の話です。皆さんご存知ですか?ご存知の方も文字数稼ぎで書かせて下ださい。正確性に欠けたらすみません。
「チャンスの神様がいて、その特徴が、ものすごく動きが素早くて髪の毛が、前髪しかない。だから迷わず神様の髪の毛をつかんだ人がチャンスをものにできる。後からつかみに行こうとしてもつかめない。神様はいつ現れるかわからない。神様をつかめるのは早いもの勝ち。」という橋をされました。そのあとみんなで考えて発表。どんな意味があるか。
先生が「何事も積極性が大切」ということを念押しされました。
体育
みんなと一緒に参加していました。体育にも色々ありますよね?印象深いいのが、ソフトボール、ポートボール、器械体操、水泳です。体育ではありませんが、運動会も印象深いので、話していきたいと思います。
まず、ソフトボール
今思うと、友達も怖かったかもしれませんが、ピッチャーで投げさせてもらったりしました。そのとき「あったたらどうするの?」と先生が、「当てないように打て。」というときもあれば、また違う日は私に飛んできたら取れよ。」言ったりしていました。今も動くものを取るのはほとんどうまくいきません。そのときは、4,5歳で近くでボール投げてもらってもたかなか取れないのをドラマとかで見ますよね?そのレベルでも参加させてくれていました。本当に感謝です。さすがに「毎回そんなだとみんなが思いっきりできないでしょう?」と思う方もいますよね?確かにそうです。しかし、ここで凄いのが、「今日は審判ね」と見学ではなく輪の中に入れてもらっていました。テストの時はさらに特別ルールのようなものまで作ってもらっていました。もちろん本物のテストはしたうえで私が楽しめるように考えてもらっていたのだと思います。次のようなルールだったと思います。私が10宮中何球バットに当てられるかを競うのです。普段とは真逆ですよね。こうやって工夫をしてくださっていたのです。
ポートボール
スピードのあるものはどうやって参加したと思います?車いすを友達に押してもらって参加するのです。ボールは大木とはいえ、キャッチ能力は先ほど書いた通りです。ですから基本、近くで渡してもらう感じです。さらにここで特別ルールです。私がボールを持ったら、友達が押して二歩進んでいいパスコースの邪魔はいいけど、車いすに触れたらだめというものです。ここでも独自のルールを作ってもらって参加しました。
器械体操
鉄棒の時は、回る感覚を経験させてもらいました。マット運動でも側転の感覚を経験させてもらったり、跳び箱の感じも踏み台や箱の上に載せてもらったりして様々なものを経験させてもらいました。組体操にも参加させてもらいました。これは運動会のとこで書きますね。
水泳
みんなと一緒にプールにはいりました。そこで、みんなが25メートル泳ぐ練習している間プールサイドにつかまって」水中歩行練習したりしていました。もちろん浮き輪付き。今日も歩行訓練かと持っていたら、先生が、浮き輪を外して「お前も泳ぐぞと言って、手を引っ張って、泳ぐ練習もあったり、プールの中でも配慮してもらいました。でも先生方はまだすごかったです。お腹を手で支えるから、あとは自分で手や足を動かしてどれぐらい進めるかやってみようと、本当に泳ぐ感覚を経験させてもらいました。さらに水中だったら、浮力が効いて歩きやすいかもしれないから、歩いてみようといわれてつかまるところないところで、まずは立つだけ。しかし、すぐに水の中に、そうなったら先生から起こしてもらうの繰り返しをしていく中で、10秒ぐらい立てる様になって1,2歩なら足が出せるようになりました。みんながテストの時に、私のテストはお腹を支えてどのぐらい泳げるかと、どのぐらい水中で立った姿勢で入れるかのテストになりました。。
これぞ合理的配慮というのではないでしょうか?いきなりすみません。のちにブログに書きたいです。
毎回の事ですが、ここまでお読み美忠樹ありがとうございます。また次回も是非お読みいただければ幸いです。