思いやり

日常

皆さんこの言葉どんな時に使われますか?人に教えたり、叱ったりするときに特に意識されませんか?私だけかもしれません。思いやりとは相手に与えるときにしか使わないように思います。しかし、私以外の皆様には別の方法でも使っていただきたいのです。毎回、他力本願です。すでに記事をお読みくださっている方には意味のない記事かもしれません。なぜなら、検索で上位にあるわけもなくさらに読みやすいわけでもないし、ためになり内容でもないこの記事をお読みいただいている皆様には感謝申し上げます。

思いやりとは

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思いやりとは

私が思う思いやりがあれば、過剰な区別がなくなり誰にとっても過ごしやすい社会が出来ると思います。

現在は、誰より上とか下や「あのグループとはかかわるな」などのことを考えたことはありませんか?これは過剰な区別を作る根源なると考えます。「競争社会だからそう考えるのは当然だろう?」たしかにそのような考えが多いのでしょう。負け惜しみと言われればその通りです。しかし、なぜ人に勝ち負けが必要なのでしょう?会社に入って出世争いには勝ち負けがあるかもしれません。しかし、学生時代には勝ち負けは本来存在しないと考えます。なぜ小さい時から勉強に勝ち負けが存在するのでしょう。それは、親のせいです。近所に見栄を張りたいがためとか(うちの親だけかも)のために簡単にプレシャーをかけるために勝ち負けに置き換えているだけだと考えます。本当に賢い人間になってほしいだけなら、「今回の平均点は何点を目指しなさい」でいいのではないですか?目標達成出来たらその要因を本人に聞いてほめてあげて、さらに上を目指すように一緒になって目標を設定してあげればいいし、だれかと競う必要ではなく自分自身と競うべきだと思います。そうしなければ、点数が周りの人と比べどうだったかで判断するようになりますよ。自分より下に何人いるよ。だから「点数は悪いかもしれないからみんな悪いから」と言いますよ。きっと。そうすると親は「人はどうでもいい」とか言って叱りますよね?矛盾しませんか?プレシャーをかけるときはだれかと比べておきながら、言い訳をしていると判断して「人は関係ない」と問答無用で追い詰めますよね?それでは理不尽です。「社会の厳しさを教える」と言われるとしたらそれなら、克服の方法は教えてあげていますか?少なくとも私は教えてもらえなかったので、皆様は必ず教えてあげてください。

私は、目標に届いていないときは、まずそうなった要因を聞いて次はどうすればいいかを一緒に考えてサポートしてあげてください。

お願いします

何かで競うときは自分自身と競うようにしてください。格試験は、基準点を超えていれば合格できるものがほとんどです。中には、上位何名までというものもあるとは思います。その場合は、過去のデータなどを参考に少し高めに設定すればいいのです。学生時代の模擬試験などもあくまでデータとして扱われているだけと思い順位は気にしないでどこが間違っていたのかの把握する道具として使ってください。あとできましたら、成功体験も積んでいると折れそうなときに支えになると思いますので大一番の勝負の前に成功体験をしておいたら、自信を持って臨めると思うのでより目標を達成しやすいと思います。

繰り返しになりますが、皆様は何かにチャレンジするときは身近相手と競うようなことはせずご自身と競うようにしてください。そうすれば、過剰な区別や理不尽な扱いを受けることは極めて少ない社会が出来上がっていくと思いますので。ぜひ皆様は、ご自身と競うようにしてください。他力本願で申し訳ありません。皆様にご協力いただければ幸いです。

日常
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ゼロからの挑戦