武器

日常

就職活動や入学試験で言う武器は、人より優れたところや結果をアピールできることを言うと思います。これは、まだ相手に矛先が向くわけではなく、自分を磨いて選んでもらえる要素を増やしているので素晴しい武器だと思います。言葉も武器の一つですよね?この武器は厄介なのです。皆さんもご存知通り、人を救うこともできる反面追い込むことも簡単にできるのです。もちろん私の希望は救う使う方が世界中にあふれてほしいです。

言葉で、救われたなと思うことは「助かった。」といわれたときです。これは私の考えなのですが、「ありがとう」の言葉は社交辞令や提携部のように使われることもあると思うのです。しかし、「助かった。」などの言葉は本心から出た言葉だと私は思うのでそのときは本当に嬉しかったです。

その反対も経験しました。「汚い死ね」というものです。確かに家であまり身だしなみに気を付けてくれたりすることもなく、放置気味だったのはあります。しかし、それでも「死ね」の破壊力は絶大です。お分かりでしょう。なぜ今こうしてかけているか?生きているからです。これは強いからではありません。その行為をする勇気がなかったビビりなだけです。ですから現在もさほど置かれている状況は変わりません。しかし、さすがに大人ですから、直接的な表現ではありませんが、大人な分精神的な破壊力絶大な真綿で絞めていくような環境に居ます。

権力のあるものも是非気を付けてください。国→都道府県→地方公共団体→事業者のようになっていますよね?この場合は監督権のあるものが当然優位な立場ですよね。もちろんすべての厚意が適正に行われると思います。しかしもしその力を恣意的に使えば人を服従させることや社会的にだけではなく、本当に抹殺することがかのうなのです。

エリートさえ自殺に追い込んでしまうのです。力は。

中小でも、待遇に差をつけたり、その人物の弱点をつくようなことをすれば簡単に精神的に追い込むことが、出来ます。その結果生じたものは、当人の医師によるものです。など逃げ道はたくさんありますね?だから経営者の皆様にも力はなるべく適正な使い方をしてください。お願い申し上げます。

普通の人

普通に生活しているなら力とか持たないから関係ない。私が生まれたころなら、特定の環境や状況がそろわなければ確かにそうだったかもしれません。しかし、情報通信技術の発展著しい現在はそうとは限りません。もちろん良い面は、助けを求めたらその情報が次から次に広がり、助けることが出来た。クラウドファンディングも募集している方の想いに共感した人たちが指揮を出し合い夢をかなえる手伝いを全世界規模で出来るなど素晴しいと思います。しかし、府の面もやはりあります。「自分一人が書いても関係ない。」という気持ちで汚い表現の言葉を書くとその言葉がどんどんと広がっていき集団四隣も加わり、さらに過激な表現になっていき最悪なところへ追い込むのです。

ぜひ

私のようなビビりでない皆様和悪い面はゼロでいい面だけを数千倍に増幅して広めてくださいお願いします。

日常
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ゼロからの挑戦