運動会

小学生

私たちの時は、朝から夕方まである感じでした。プログラムも四十何番までありました。この話は、5、6年生合わせて書きたいと思います。障がいを持った子を参加させる運動会はどんなものだと思われますか?見学が多く、参加するにしても、プログラムの案内をしたりする。又は、本部テントにいると思われる方が多いのではないかと思います。前回も書きましたが、私を受け入れた小学校は本当にすごいです。凄さをつたない私の文章力で伝えられるかわかりませんが、おこしくださった皆様今回もよろしくお願いします。

運動会は、入場行進から始まりますよね?それも、もちろん参加です。しかも車いすを友達に押してもらっていく感じです。「私は進行しているのだからちゃんと手を振りなさい。」と言われていたので必死に振っていたと思います。今考えるとこれもリハビリを兼ねていたような気がします。当時は「筋力強化や可動域を広げるために動きなさい」とお世話になっていた理学療法士さんからいわれていたのでそれを取り入れてくれたのだと思います。ラジオ体操も同様です。運動会最中は、本部でテントではなくみんなと同じテントに居ました。私の学年が出る競技が来ました。色々あったと思いますが、おぼろげながら覚えていたり、印象的なものだけ書きますね。

綱引き、かけっこ、学年で披露する踊り、騎馬戦、組み体操です。文字数稼ぎにまたお付き合いください。

かけっこ

5年生の時は、グランド半周、6年生は、1周でした。当時の私は、松葉杖とくるまいすをつかっていました。ここで、こう書いたということは勘のいい方ならおわかりでしょう。そうです。杖でその距離を進んだのです。もちろん運動会の 何週間前から友達や先生に付き合ってもらって練習しました。その時に、先生や友達がタイムを計測してくれました。「短縮できたよ。」と言ってくれる先生や友達の言葉を聞いてうれしいと思って練習するばかりでした。時々先生が会議でいないときがありました。後から分かったことですが、その会議は運動会についてだったのです。全体のこともあったでしょうが、やはり私の事だったそうです。その会議は私をかけっこに出すべきかなどで議論になったようです。そこで担任は「見学」ではなく、出すことを強く訴えてくれたそうです。次は、距離や時間、方法の議論になったそうです。時間については7分ぐらいでした。[その時間みんなやお客さんをまたせていいのか]という意見がでたのでしょう。その対処は、友達に会議の中で私を運動会に参加させるか、見学させるかなども含め意見を聞いたのです。そこで最後の議論は、方法でした。「松葉づえより車いすのほうが安全で速いのでは」とまたそのとき、担任が「本人がやると言ってますし、友達も協力して練習したら時間も少しずつみじかくなっているから」と説得してくれたそうです。

そのおかげもあって当日は、杖でみんなと同じ距離を歩くことが出来ました。そのときは、6分を少し切る時間で歩けました。先生が「今日が一番速いやないか、練習の時、力を抜いたな」とからかわれるだけ。裏も事は一切言わず。

まさに本人がしたいということと安全に配慮したうえで最大限実現させてくれる。本当の意味での合理的配慮だと書いてる今はつくづく思います。本当に感謝です。

綱引き

グランドの中央に綱がよういしてあって、ピストルの音を合図に駆け出し綱を引き始める競技でした。5年生の時は、先生に車いすを押してもらい参加しました。そのとこも配慮があったのです。ピストルの音と同時に押してもらって綱の方へ途中で「自分で漕いでみようと」綱の近くから綱まで漕ぐことにその間先生は綱引きに。競技が続いていれば、綱を握らせてくれ輪状化を味あわせてくれたのです。6年の時は、さすがに参加は難しいだろうと思っていました。競技の勢いが5年生の時とは全然違っていたので。しかし先生方がまた配慮くださったのです。確か、昨年はピストルの合図は朝礼台の所だったのが、綱の中央が見えるグランド内のはじに変更されたのです。そして、合図するのは私でした。終わりの合図は、審判の先生がした合図を近くにいる先生が教えてくれ鳴らすという感じでした。私が在籍していたときは、私ほど重くわないと思いますが、事情で競技に参加できない友達もいたので、交互にその役割をしていました。

学年で披露する踊り

先生から車いすを押してもらって参加しました。「できる振り付けを頑張ってすればいい」と言われて頑張りました。ここでも先生凄いと今だから言えます。私が、ふざけたり、手を抜いた時はすかさず叱られましたしみんなと同じようにゲンコツをもらうこともありました。こんなところでも変な配慮せず、同等に見てくれていた先生方は本当にすごい先生方と本当に思います。

組み体操

扇、飛行機、電柱、サボテン、ピラミッドだったような気がします。扇は真ん中が私で、両サイドの友達の手を握る形ならできるかなと思っていました。残りは、見学だろうと思っていました。またここで担任が「ピラミッド以外はお前も参加だからな。ピラミッドも隣で土台の姿勢はするんだからな」と、私も参加することになりました。ここで問題が、私の担任をしてくれた先生は、180センチを超える長身。私は高所恐怖症だと思います。さらに姿勢を保つのが難しい私には恐怖の形が2つありました。電柱とサボテンでした。先生も支えるのが大変だったでしょうが、「なんでも経験」と参加させてくれました。そのときは恐怖心で、嫌だなと思っていましたが、今となっては経験させてくれたことに感謝です。

騎馬戦

さすがにこれは見学だろうと思っていたら、ここでも先生方が。旗持ちという役割をさせてくれたのです。相手の旗持ちは、綱引きの時に書いた事情で参加できない友達でした。先生は「旗持ちも大事な役割だからね。もし倒したら負けにするからね。」とモチベーションを上げる配慮。相手は冷めた反応でした。自分でいうのもへんですが、私は影響されやすい性格なので、ひとり「倒さないように持たなくとは」とかひとり緊張していました。6年生の時も旗持ちだろうと思っていました。しかし、その考えが甘かったのです。先生が体格のいい友達を集めて何か話している。「何だろう」と思っていると、その友達と先生が私の所に来ました。そこで騎馬の形を作りました。次に先生は「お前が大将の騎馬に乗って入場門から所定の位置まで移動してそこで降りて旗持ちな」と伝えられたのです。組体操の所でかきましたが、高所恐怖症で姿勢を保つのが難しい私です。多分先生方は挑戦する大切さを教えようとしてくれたのでしょう。騎馬になってくれた友達が「絶対落とさないから、出来るだけまっすぐ堂々としな。男やろ。」この言葉を言ってくれた友達はなんと「障がい者は養護学校に行け。」といった友達です。これも繰り返しになりますが、人は変れます。これが実例です。私を受け入れてくれた小学校は校長先生をはじめすごい先生達ばかりだったのだと改めて思います。校長先生のエピソードもまたブログで書きたいと思います。またよろしくお願いします。