中学校生活にも書きましたが、勉強の苦手な私がどんな風に高校を選択したかや高校生活について書きたいと思います。以前の内容と重複するかもしれませんが、中学校でどのような環境だったかをまず書きたいと思います。
小学校の高学年の時と同じ、登下校時の送迎のみです。ただ違うのは入学当初は担任が家まで送ってくれて、私と母が話しているのをじっと聞いました。時にはそれに対して、質問されるので答えていたので毎日家庭訪問状態でした。なので、本当の家庭訪問時期には、スキップされてしまいました。入学後2,3か月は毎日そんな状態でしたので、最初はガチガチに緊張していましたが段々慣れて普段の授業の話も家では気軽にできるくらいまでになっていました。ある日いつものように話をしていたら、衝撃発言がありました。「お前は理科はできるのではなかったのか」と聞かれて不思議に思いましたが、「小学校の頃は得意でしたよ。」と答えると続けて「なぜ中学では苦手なの」とそれに私は「わかりません。なぜそんなことをいうのですか」と聞くと理由がわかりました。「小学校から送られてきた成績表で理科は4⁺で後は1と書いてあったからどうしたものか困っていたら、苦手とされていた教科が点数が良く、得意な方が悪いときたから不思議でな。」と衝撃発言。先生それ言ってはいけないやつでしょと思いながらも「業者が作成したテストではないから授業を聞いていたら応えられると」答えると「そんなもんかね」と不思議そうにその話を終えました。
部活は最後まで続けることが出来たことも不思議でした。さらに不思議なことありました。それは、部活動に参加した後の方が、勉強に集中できたのです。普段だったら、国語の過去問の1回分も終えることが出来ず半分程度で集中力が切れてしまって休憩挟むほどでした。見かねて勉強に付き合ってくれていた祖母が「1回分は一気にできないと入試はだめよ」とあきれられるほどでした。そんな状態が体を動かして気分がいい日は、まるで別人、国語の過去問2回分を一気にできました。ですので、体を動かした時ほど頑張って勉強していました。
特に父親が知ったかぶり人間でさらにプライドだけエベレストに匹敵するほど高いような人間でした。しかし、本人は中学卒業でした。その人物のおかげでさらに私のマイナス思考が進むのです。事あるごとに「お前は神学校に行って、国立大学に行って公務員」こればかり、成績が悪いと言えば「なぜわからんのか」と怒るばかり、ある日は、車いすだから受け入れてもらえないかもというと、「お前が訓練戦から悪い」と怒る。私には最悪な環境と進化していきました。
そのころ学校では、推薦入試や志望校決定していく頃でした。今はどうかわかりませんが、私が通学していたころは一般試験で合格が怪しい人を主にしていました、なので私もその対象でした。私は合否の前にもう一つ大きな壁がありました。
それは、試験そのものを受けさせてもらえるかどうかの壁でした。先生方が普段私が書いている文字や学校での生活の様子など伝え丁寧に試験を受けさせてくれそうな高校と交渉してくれたのだと思います。その結果、受験だけはできるようになったので、推薦という形で受験しました。どんな問題だったかをうけた友達と報告した後、私に「時間は足りたか」など聞かれたので、「できれば、時間がもう少し欲しい」とお願いしました。そして数日後、結果発表の日が来ました。私は予想通り残念でした、先生は「一般入試があるから頑張れ少しでも受験しやすいように交渉してみる。」と言ってもらえて少し嬉しかったことを覚えています。先生が「時間延長をしてもらうには、医学的に診断があった方がいい。」と助言があったので、お世話になっている病院に行って書いてもらったとき、そこのリハビリの先生が「特別支援学校も受けたらと」言われてショックを受けたことも思い出しました。そんなこんなして交渉してもらった結果、「時間延長は、県の承認などがないとできないから認められません。その他の高校だけで対応できることはします。ただ合格かどうかは厳正な結果を見てからです。」と強く念を押されて受験に臨みました。
受験の合否の結果が出る前に高校に呼ばれ開口一番「合格していたらですからね」と念を押されて高校の施設を案内してもらいました。その最中、3つのことを言われました。「入学したら常に保護者の付き添いをお願いします。」「進学希望だからいいけど就職は面倒見れません。」「修学旅行は不参加でお願いします。」いわばこれらが条件だったようです。
合否の発表の日、中学校に集まって志望校別に聞く形式でした。そこで先生が「私も合格している」と驚いたように言われたというのを今でも鮮明に覚えています。その日のうちに合格者がそれぞれの高校に呼ばれるので、私も行きました。
高校生活が始まりました。ここからは想像なのですが、最初は高校の先生方は「大丈夫か。授業に付いてこれるかなど様々」あったのだと思いますが自分なりにしっかり授業を聞いたりして、定期テストも時間ぎりぎりまで使って解いていたら、神学校ではないおかげかトップグループに入ることが出来ました。中学や小学校では会の方だった私がですよ。でもこの点数がいいのも定期テストのみです。いつも先生に不思議がられていました。「なぜ定期テストではそれなりに取れるのに。」たまに赤点を取ることがあることもあったのですが、幸いにも補講は受けずに済みました。そんなこんなで1年は終わり、無事進級することが出来て、私でも人の役に立てるのは法律家かなと思って法学部死亡しました。
(無謀なのはわかっていましたけど。)私の学力では絶対無理の所を先生方が『推薦で受けれるように頑張りなさい』と進めるのです。その当時から想像はついていましたが、病院の先生がその大学の教授を務めてある上、なぜか私を気に入っていただけるのです。私のいないところで「うちの大学受ければいいのに」まで行ってくださっていたようです。
結果は別の大学を推薦で受けて不合格で悲しい結果で終わりました。こうなったのも親のせいも多少あります。なぜなら、勉強しないと知らんや他は何時間もしよるなど言うくせに検事と裁判官や弁護士の違いも判らず、知ったかぶり、さらに私立の推薦が締め切られた後、私立でもいいなど言い出す始末。ほんと無知が最大の罪だと今は思います。
順番が逆になりましたが、2年生の時に修学旅行がありました、最初は入学時に言われていたので、私は外れるものと思っていました。しかし、先生達や友達のきょうりょく参加することが出来ました。その旅行で驚いたことがありました。
修学旅行の添乗員さんが、中学の時にもついてもらった方でした。もう一つは、旅行で私のサポートをしてくれた先生と入浴していたときに言われたことが印象的でした。それは「最初は私を冷ややかに見ていたが、定期テストで他のものはざっと終わらせて寝ているが、お前は最後まで見直そうと頑張っているのを見て、見方が変わった。」と言われたことは本当に嬉しかったです。
最後までお読みいただいてありがとうございました。