私達の時は、クラスが3クラス1クラス30人を少し超えるくらいで3年と5年になるときにクラス替えが行われていた。この文章力でお判りいただけるだろうが、勉強は全く駄目である。もし義務教育にアメリカのように自己申告で同じ学年を繰り返すことが可能であれば絶対薦められるレベルでした。授業のことや運動会のことは別記事でまとめて書きます。
クラス替え担任交代の陰で行われていた配慮
クラス替えの時どうなることか不安だったのを覚えています。2年背の終わりに担任と母がはなしていた。「○○君とは仲がいいみたいだから一緒にした方がいいですか?」母「○○君のお母さんはお仕事されていますので、学校が終わった後○○君うちにいます。だから○○君と仲がいいはずです。」や「担任は今までサポートしてくれていた先生が去るようです」など話していたようです。母に要望を聞いていた?なぜと思うぐらい母から聞いたとおりになるのです。当時は預言者かと思ってびっくりいた記憶があります。あと大きく変わったのは、母が完全に学校にいない回数が増えました。
先生からの忠告
私は書字スピードが遅いや直線がうまく引けないなど自分ではできてる意識でした。しかしそこには、こう書いているのだろうと先生が推定してくれて採点してくれていたのです。そうです特別な配慮。高学年や社会に出たら通用しなくなるから正確でないものは得点にはしない。もちろん正式書類には配慮なしで記載されていたはずです。なぜなら中学の担任が「あなたの成績は理科以外、最低評価で送られてきたから大丈夫かなと心配したけどね。今は理科脳が成績悪いくらい」と教えてくれたのです。もちろん自宅にきたときに。励ますためかもしれませんが「あなたより成績悪い人も結構今はいるよ。」と付け加えられました。最後に追い打ちのように「貴方も成績は良くないから頑張ろう。」とも言われどっちやねん。と突っ込んでいました。
仲間をつくろう
私は○○君しかいないかの如くふるまっていたので。これでは社会性やコミュニケーション力が身につかないとまずいと考えてのことです。それから○○君以外に頼まないといけない状況が増えていき。私にとっては試練が増えました。そんな中頼めば快くしてくれる人、明らかに避けている人がわかるようになっていきました。
クラブ活動にも参加
4年生からクラブ活動をするようになります。ここで私は将棋クラブを選びます。なぜならクラス担任が担当しているクラブだったのでこれだ!と決めました。ほかの地涌いうとしては将棋なら車イスだろと関係ないだろうかんがえた。その中でもやはり、話しかけてくれる人、中間的な人、明らかに避けている人と様々でした。そこでも悪い癖が出るのです。特定の人に頼む。先生の次なる手は、くじ引きで相手を決める。会話はなくとも、対局する中で人と触れ合わせようという配慮だったのだろうと感じる。
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この時期過程ではさらに自己肯定感ゼロへ加速していく
バカ親からの躾や教育名目の暴行が始まっていく。先生の忠告を受け「鉛筆の持ち方が悪い。なぜ出来ない」など様々な罵声の他に手まで出てくるようになったさらにお風呂などでも「支えてやるから麻すぐ立て、ひざが曲がっている」と言って叩かれ、「100まで数えるまで湯舟から上げない」途中で数え間違えたら最初からやり直し、子どもの言うことが、信用できないのだろう。縁を掴んで立ち上がれば「肩まで浸かって早く数えろ」どう喝する始末。そんな感じなもので意識喪失し救急車を呼ぶとしたところで回復。「目を離していたから築かなかった。」と家族に嘘を言う始末。皆様は絶対こんなことはしないでください。
お願い(まとめ)
- 自分が出来るから簡単とは考えず相手の状況を考慮して
- 親だから何でも許されるわけではない。
- この時期に圧をかけすぎると取り返しのつかないことに逃げ場も作ってあげてください。