[意欲的挑戦]19歳で恐怖心に勝ちはじめた自分と心の葛藤

日常 改善投稿記事

今日も日記です。卒業後の動きを書いていきます。

卒業前に感じたのが車いすでは色々不便だろうだから、この足の痛みと歩行能力を改善でききれば私も区別されにくく社会で生活できるのではないかと考えた。それを相談に行ったら協力していただけることになった。その過程の中で人に対する疑問もあった。

  • 自分の将来は自分の責任で決める

この疑問です。確かに一般的人に自分の主張をして最終的な決定はあなた次第という意味で使われて励ましの意味があるのだろうと今ではわかるが当時は嫌悪感しか抱きませんでした

 

  • あれでは無理だろう

確かに当時は考え方が甘かった。しかし施設機能も併せ持つところだったから親気質?公務員で身分保障されているからエリート意識?障がいを持つ子ばかりだから下に見ている・などなどありました。

 

皆様は優秀な人ほど区別しない人間ですよね?絶対人を馬鹿にする人に輪ならないでください。

 

理学療法士さんの驚き

リハビリ室で「君のことだったのか?」と話しかけてきた理学療法士さんが話しかけてくるのです。気になった私は「何がですか」聞き返すと「この子だけは計画に加えてくれないか?」と急に言われて「無理矢理押し込むような感じになったからどんな子かなと思ってね。」と言われたのです。詳しく聞いてみると「年度末で退官だから後任の先生が担当する子を中心に計画しなさい。」と言われていたのに急に言われだしたから不思議だったんだ。君と先生は何かあるの?とさらに聞かれてその日は終わりました。

 

定期検査に行ったときは今までとかわった感じのない担当していただいた先生に「足が痛いのです。」ということ少しでも改善できませんかと相談したのです。「検討してみるから」と言われ、卒業前にもう一度行ったのですすると「改善できるかもしれないよ。」と言われお願いしました。裏ではひと騒動あったようです。

決死の挑戦

今まで恐怖心のあまりロブストランドクラッチという肘から下も杖に挑戦したのです。実用的なところまでは、いけませんでした。でもリハビリの先生の配慮で時間を多くとっていただいたお陰で近くのコンビニまで歩いて行けるまではなれました。(付き添いは必要です。)リハビリの時間を多くとる方法は、実習生の先生?? まだ先生ではない。についてもらうという方法でした。

先生方のつながり

数年後、立つだけで痛くてたまらず。相談に行ったのです。するとこの方法でしか改善できないと言われたのです。その方法は前任の先生が「しないほうがいい」というものでした。「どうする?」と核にされましたが、痛さには勝てなかったのでお願いしました。

この方法をしますと前任の先生に了解を取ったうえで改善方法が進められたということを後から理学療法士さんから聞いて医学の世界も縦社会なのかと驚きました。

改善は長期間

改善の途中に、加重をしてはいけない時期があったので、就寝の時は移動するので手伝いをお願いしたのです。「自分でできないなら早く移動しなさい」と子どもさんに言うような言い方をされたので。「自分で移動していいですか?」と担当先生に聞いたら私の性格も申し送りをされていたのか「気にしなくていい。頼みなさい。でもどうしてもいやなら加重しないように気を付けてしてね。」と聞いただけで言われたのです。

その改善方法をしている時は、まだ大学で法律を勉強したいと思っていたのです。勉強の仕方を知らないというのもありますが、色々な気持ちでできてないと。「あれじゃ無理」と陰口を言う人がいたのです。

またリハビリの実習性からも「もう大人なので自分の責任で決めな」と言われても大きな反発が生まれたのです。(心の中で)「歩くという基本能力を超一流の病院の対応でこうなった可能性が高いのにこの責任は・・・。」という思いです。

お願い

  • 皆様は絶対人を過剰に区別しないでください
  • 本当のエリートは人を気づ付ける行為はしないと思うので皆さんは本当のエリートになってください。
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ゼロからの挑戦