小学校の協力のおかげで思い出に残る運動会になった行われた配慮とは?

小学校運動会審査前の記事

運動会の思い出を書いた記事です。私個人の思いや考えですので当時の風潮や対応と全く違うという意見をお持ちの方もいるとはおもいます。この世界には様々な考え方が存在します。それらを否定する意図は毛頭ありません。しかし、出来ることならマイナス方向でなく、ブラスの方向であるすべてを受け入れる心の広い人になっていただきたい。

この記事でわかってもらいたい事

 

  • 当時の区別が当たり前の時代に、現在で主流のできる限り参加させようとしてくれた凄さ
  • 今でも珍しい、ケガをさせないように配慮した上でのぎりぎりを責める先生たちの凄さ

 

低学年

1年生

ほとんど思い出せないので体育の授業のように見学していたのではないかと思います。参加できたとしても入場行進だけではなかったかなとおもいます。「時を戻そう」ではないですが、幼稚園の年長さんが小学校の運動会に呼ばれて、「旗取り」という来年からよろしくお願いします。的なお披露目プログラムがあるのです。これには参加させてもらっていたので、わくわくしたのを思い出しました。しかし最初運動会は記憶なしです

2年生

「昨年と一緒で見学メインだろう」と思っていたらその思いとは全く違う結果になったのです。玉入れのみ参加することになったのです。先生「届かないかもしれないけど、一緒に参加して投げよう。」多分親に「籠の下に行かなければ危なくないと思います。ただ玉が、頭に当たったり、身体に当たるかもしれませんが大丈夫ですか?」など参加させる方向で綿密に打ち合わせをしてくれていたのでしょう。おぼろげですが「ケガの危険は他の子たちより高いかもしれません。でも他の子たちにもけがの危険はありますよね?本人も参加したほうが嬉しいみたいですので出来るだけ参加させてください。」と話していたのを覚えています。そのおかげと先生方の前向きな協議もあり、かけっこにも参加することになったのです。距離はみんなより短かったかもしれません。自力で車いすをこいでゴールを目指すというものでした。

1年前とは違って参加できたので「嬉しい」と思ったのを覚えています。あと覚えているのは、「学年が上がれば、動きも激しくなるから見学になるかも?」と言われたのです。嬉しさと寂しさを感じました。

中学年

低学年の時に言われていたので見学になるかと残念に思っていました。しかし、さらに参加できるように配慮してもらえたのです。昨年参加したかけっこに加え、綱引きなどに参加できました。

かけっこ

距離がみんなと同じになり、車いすをこいでゴールを目指しました。わかりきったことですが、みんなと比べればゴールまでに十倍以上かかります。この時間を確保に理解してくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

綱引き

3年の時は先生に車いすを押してもらって、綱を握って参加したのです。これも臨場感を味あわせてあげようという配慮がしてもらえたのだと思います。4年生での綱引き参加は危険だからだからという話だったので、見学かなと思っていたらここでも配慮があったのです。それは、」スターターです。しかも安全な場所で綱に近いところで合図をするようにしてあったのです。昨年とは違い。

高学年

職員会議で話題に上がり、さらにクラスの意見として職員会議で友達が発言する機会まで設けられるほどでした。

多分、参加させること、かけっこにかかる時間が主な議題だったそうです。先生「運動会に参加したいよね?かけっこは車いすではなく松葉杖で走る?」など色々聞かれたのです。素直に答えた。すると「わかった」としか言われませんでした。

かけっこ

5年生から松葉杖みんなと同じ距離を松葉杖でゴール目指すようにしました。時間は、やはり十倍以上かかります。そこで「1人のために全体の時間を使っていいのか」などあったのでしょう。当日は5分を少し切るほどでゴールできました。「速くゴールで来たね」と声をかけられたのです。校長先生から。「聞いていた時間より速いじゃん」とも言われたので、先生が様々な方法で説得してくれたのだと知りました。

その頃私は少しでも早くゴールできるように放課後友達と先生に付き合ってもらって練習していたのです。そんな中でタイム計測が時々行われます。8分が6分切るぐらいまでに運動会直前にはなっていました。その頃先生が「会議に行く」と抜けたりしていました。これは運動会後に知ったのですが、「私と一緒に運動会をしたい」と友達が職員会議の中で言ってくれたので、参加できたのです。しかもその意見を強く言ってくれたのはなんと「障がい者は養護学校に行け!」と否定的だった友人だったそうです。「私に近い人だと説得力ない」と考えていたそうですが、その発言には驚いたそうです。そこまで私の応援をするとは思っていなかったそうです。実は、その頃には、いやな雰囲気は消えいつもからかわれるほどになっていたのです。

組体操

扇、飛行機、電柱、などに参加しました。扇は私が真ん中で両サイドの人と手をつなぐ方法で参加。飛行機は、体格のいい友人の背中に乗せてもらうことで参加。一番怖かったのが電柱でした。180以上ある先生に肩車されるのが異常に怖かったのです。

騎馬戦

もちろん競技自体は、参加できません。しかし、旗持ちという役割を与えてもらって参加したのです。次の年はなんと入場の時は騎馬の上に乗るというさらに刺激的な経験をすることが出来たのです。

お願い(まとめ)

  • 超前向きな環境で様々な経験が出来た
  • 当時は頑張れば認めてくれる人はいる
  • 多様性を認めてくれる世界が広がってほしい