小学生の思い出本当に今思えば最高の日々を振り返り懐かしむおじさん

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小学生の記事は最後になります。皆さんは小学校の思いでは何でしょう?運動会、修学旅行などですか?私は一番と言われたら今回の記事ですね。授業などでも配慮いただいて感謝し・ています。しかし、一番はクラスで行くことになった卒業記念の旅でした。日帰りの旅です。ただクラスでのイベントとはいえ、保護者を巻き込んだ大がかりな感じでした。それにもなんと私も参加したのです。今の世の中でさえ避けられるのが当然と思われる状況でも参加させてくれた皆さんに本当に感謝しています。

クラスで企画!卒業記念の旅

「日本一の石段3,333段をみんなで登ろう!保護者も含めて」ということになったのです。希望者を募っていくということでしたので、私は当然「不参加」で決定だったのです。

しかし、その話があった後、いつもなら「お前も来るよな」的な話が先生からあるのです。でもそのときは、友人みんなが・・・。というよりもクラスのほとんどが普段の先生の役割をしたのです。そのおかげで、私は参加することになったのです。ここで私の普通から考えるなら、両親が参加して付き添うのかなと思いました。しかしうちの親は、私の記憶では参加していたのは母だけでした。正直ドタキャンしてしまえばいいかなとも思っていました。

しかしその魂胆もバレバレだったようで、ことあるごとに、「キャンセル許さんぞ!」など予防線張られまくりです。それに輪をかけるかのように友達からもドタキャンさせない作戦が進行していたのです。ここまで真剣に相手してくれる友人も珍しいですよね?先生の後押しもあったのかもしれません。

参加当日

石段のところまでは、みんなで移動できるからその間だけでも会話を楽しめたらいいやと思っていた。石段の頂上まで車で行く方法もあるとわかったので。「みんなを上で待てばいいのか」とほっとしました。上で昼食を取って自由時間を過ごす予定になっていたからです。

石段に到着した時「よし行くぞ担いで行けるところまで。」私の頭の中で「私車で行くんだよな」と思っていたら、先生が「おんぶすから背中につかまれ」と言われるがままつかまりました。すると石段を登りはじめてくれたのです、しばらくすると次は友人たちが代わるがわる私をおんぶしてくれ登ってくれたのです。ここまででもすごいのです。さらにすごいことが、友達のお父さんまでが担いで登ってくれたのです。そのおかげで下から頂上までみんなと一緒に過ごせたのです。

「下りは車で降りよう」と言われたのです。それには十分納得しています。登りを一緒に過ごせて本当に嬉しかったのです。

数日後の学校

先生が急に手紙を読みだしたのです。その内容は「体の悪い子と一緒に石段を上っているのを見て感動しました。」といううものでした。「地道に行動していたら、ちゃんと見てくれる人はいるからこれからもそれぞれ頑張っていきなさい。」と激励されたことを今も覚えています。

学校生活はもちろんですが、こうした課外活動も参加させてもらったことに本当に感謝しています。

この幸運を勘違いして頑張れば、うまくいくと勘違いしました。

お願い(まとめ)

  • 皆様は、チャレンジしてください
  • 誰かは見てくれています
  • 皆さんは勇気があれば挑戦できます