今までにない疎外感を経験がクラスのグループと意外な人物の協力で突破!

中学部活投稿記事

小学校のクラブ活動がすごく楽しかった。それに仲良くしてくれる友達もその部活に入っていたので私もバスケットボール部に入ることに決めました。なぜ運動部にと思われますよね?確かにそうです。しかし当時は、小学生の思い出が良すぎてそれに近いことはできるだろうと考えていたのです。しかしその考えは、甘すぎることにショックを受けるのはすぐのことでした。

 

日記です

環境のおかげで人良くなる

チャレンジは誰か見ている

 

当然の出来事

体育会系の部活は、上下関係がありますよね?それ自体は当然のことだと思います。私の周りには見えない壁が存在したのです。「お前は歩けず車いすで障がい者なのだから当然だろう?」と言われるでしょう。

確かに他の人に比べればできないことやけがの危険は高いです。だから、触れ合いまで最小限にするというのはかなり私にはきつかったのです。もしかするとほかの原因もあたかもしれませんけどね。家では、放置状態でふろに入るのもなかなか頼みにくいことから、遠のいていたので昨日の記事で触れた汚い死ね」に繋がっていくのでしょう。くどくて申し訳ありませんがあの時にこのシャンプーが発売されていたら違ったかもしれません。

同級生がパス練習していても私は歩行器で少し離れたところを歩く。シュート練習になっても同じ。これの繰り返しでギャップが大きすぎてさぼるようになりました。このまま放置でも何の問題もなかったと思います。しかし、授業の体育には参加して「頭が痛い」など理由を付け参加しない。これを顧問から指摘されたのです。なぜ指摘できた?体育の担当が顧問だったのです。「体育に参加して部活に来ないというのはおかしい」と言われたので体育をすべて見学するようにしたのです。それが1ヶ月続いたある日「部活は来なくてもいいから授業には参加しなさい」と顧問から言われたので参加するようにしました。これも今考えれば、私のことを考えていてくれた証明であり特別な配慮だったのだと思います。

救世主の登場

先生からの後押しもあったのかもしれませんが、グループの一人が「なぜ部活に行かないの?」と強く聞いてきたのです。その友人は私が消極的で、逃げ癖のあることを知っていた。そのうえで、聞いてきていたのです。私は正直に思うことを伝えた。歩行訓練だけである事、私だけユニホームがないことをなど伝えると、その人は「歩行練習が嫌なのは逃げてるだけだろう?ユニフォームは控え選手枠外だからもらえないだけではないの?」と聞くのです。私も素直に逃げの部分はあるかもしれないが、そのメニューだけではきつい。パスとかボールに触ることもさせてほしい。ユニフォームのことも登録選手がいの人も私以外に2名いるが、その2名はもらっている。と話すと。信用性を確かめるため別のクラスの人を呼んだのです。その人物は最初は私を避けていたあの人物だったのです。「少し違うところもあるけど、練習参加などの所はその通り、危険だから外しているところもあるが、大丈夫そうなところも別になっている。ユニフォームはこいつだけもらってないみたい。部費は納めているのに。」と概ね私が言うことがわかった。その人がすごかった。「顧問に言ったのか?」と聞くので言っていないどうせ聞いてくれないと答えると。「言わなわからん。言ってくる」と職員室に行ったのです。数分後戻ってきて「ユニフォームは手配中、練習にも可能な限り参加してもらう」と顧問が言ってと伝えたのです。

そこで最低週3回は部活に出ることを約束したのです。そのおかげかすごいことが起こったのです。(別記事)

嬉しい出来事

部活に参加し始めると依然と違う雰囲気で誰かしら必ず練習メニューの変わるときなど声をかけしてくれるし。一部のメニューには参加できるように。「ケガを心配しすぎたから歩行練習だけにしていた。少しのけがは問題ないのだな?少額背の時もしていたのだな。そこまではできないかもしれないけどな。無理のない程度で参加しなさい。」と顧問が声をかけてくれたのです。配慮のおかげでケガしませんでした。冷たいと思っていた顧問から声をかけてくれたことも嬉しい一つでした。

まだうれしいことが2つあります。

顧問の変化

練習も参加するようになって、楽しくなって自分のできる事をしていたのです。シュート練習のパス出し、ルールは覚えていたので審判みたいなこと。試合前やゴール下で激しい動きをするときは「来るな!」と強くチームメート言われることはありましたが、それはけがを防ぐ配慮なので問題ないのです。そのときは、コートの安全なところにいるか、外から応援するかでした。最後の大会前、スラムダンクのように全国制覇を目標にしていたので私は審判とかアドバイスしていたときです。「お前だったら反則にするか?」と聞くので、すると答えたら「わかった」答えてくれるほど溶け込めたのです。或る日「お前を選手登録して少しでもコートに立てるか交渉してみる」と言ってくれたのです。これが本当に嬉しかったです。

その頃「実はお前が、部活に来ないとき話し合いして顧問にお願いに行ったら、練習参加にすら難色示していたのに、今はあすこまで前向きになるとは思わなかった」と教えてくれたのです。

最後の大会

全国大会に出場できませんでした。しかし県大会まではいきました。しかし、地区大会までベンチにいることが出来ました。嬉しかったのは、この時ではなく結果報告会でのことでした。結果と自分たちの努力を報告して下がろうとしていたときです。「なぜ応援のことには触れない?」と別の部活の顧問が声を上げたのです。そして「相手の監督は車いすの子に負けた。前半と後半で別のチームかと思うほど。応援でここまで変わるとは思わなかった・」と言われていたと話したのです。

プレーだけではなく応援を消化してもらえて事が嬉しかったのです。

その試合は、県大会へ進めるかどうかという試合でした。前半で20点差つけられていたのですが、なぜか勝てると確信があったのです。自分がプレーするわけでもないのに。後半が始まる前にプレヤーにアドバイスをしてあとは空気も読まず必死に応援していました。すると点差が縮まり、試合終了時には10点差がついて勝利したのです。

お願い(まとめ)

  • 皆様は過剰に人を避けずに触れ合ってください
  • チャレンジは誰か見てくれているのであきらめず続けてください
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ゼロからの挑戦