中学生生活のスタートまだこの時は気づいていなかった・・・。

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中学生活の始まりとクラブ活動と授業の3記事を書きたいと思います。中学校に進学するときは小学校の時のように大きな問題にならなかったような気がします表向きには。地元の中学だったので先生方の情報交換では、私の状況など詳細に話をしたようです。字の書くスピードや私が丁寧に書いた文字がどの程度かなどです。中学校側の会議ではやはり、車いすであることが議題にあがり、安全性の確保が出来るか不安だからという意見も出たそうです。でも私を担任してもいいという先生が小学校でも受け入れることが出来たのだから私たちも可能でしょう。と強く主張してくれたおかげで表面的には、何の問題もなく進学できたのです。

入学式前の出来事

小学校卒業した後は、長い春休みを過ごしながら中学生活はどうなるのか期待と不安の中に居ました。中学校での最初クラスだけは、小学校の先生が決めることが出来たそうですがあえて私の浸し委人を同じクラスにとは要望しなかったそうです。

はじめは溶け込むためには仲のいい人がいるのがいいけど、これから先いつも配慮してもらえるとも限らないのであえて強くは要望していませんと聞いていたのです。

入学式1週間前

男性が訪ねてきました。そうです。担任の先生でした。「急にすいません。どんな子か気になりすぎてあいにきました。」と言われたので、この先生が担任だと知った。小学校の時の話などをして、最後に「安心して中学校にきてね。」」と言われた。

更にそれから数日後今度は先生が「ちょっと来て」と家に迎えに来られたのです。「どこにいくの?」思い真柄10分ぐらい着いた場所は中学校でした。しかも連れていかれたところは、職員室。そこには仲のいい友人が数人いたのです。手すりの位置などを一緒に確認して周ったのです。実は友人たちは卒業式が終わって数日後に呼ばれ私に必要な設備について聞かれていたそうです。

入学式前日のこと電話が鳴りました。小学校の最終学年の担任の先生でした。「大変なこともたくさんあるだろうけど、頑張れ」という激励の電話でした。その電話で卒業後のことを離すと茶目っ気たっぷりに「入学前から呼び出しか?何をした」と言われてまた最後に激励していただきました。

中学校生活

私が通っていた学校は全員部活動に入らなければいけなかったので、私も所属しました。しかもバスケットボール部でした。

これは小学校の幸運すぎるクラブ活動イメージがあったからです。(詳しくは後日)

授業をみんなと一緒に受ける

部活に参加するか?さぼるか?考えて帰るときは学校に設置してある公衆電話から迎えに来てもらう。

帰って一応し宿題をする。しかし、追いつかずこちらもさぼることになる。単語1ページ書くなどのし宿題(また後日)そんな感じの日々を過ごしていました。

事件発生

体調不良で休んだ次の日学校に行ったある日「汚い死ね」と殴り書きされたくしゃくしゃの紙が机に入れてあったのです。

確かに家庭の状況などもあってそう言われても仕方なかったのでしょうが、頭にふけのような皮のようなものが浮いていたのです。それで「病院行ってみたら。」と先生からアドバイスされるほどだったので、やっと親が連れて行ってくれ、処方薬をいやいやでもつけてくれている時は、ぴたっと止まりました。しかし薬が切れると繰り返していたのです。

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高校進学

普通高校に行くことが目標でした。勉強もできませんでしたが、試験だけでも受けさせてくれる高校を探すだけでも大変で先生方も必死で探してくれました。養護学校(現特別支援学校)選択肢の一つでした。

普通高校を受験することはできました。