当時としては珍しい役所のサポートだった?周りの協力で実現した世界!

低学年の思い出審査前の記事

幼稚園卒園の後は・・。小学校に入学しますよね?一般的に考えれば、入学自体で問題になることは稀です。私の場合は、障害児であるうえ車いすを使用していたため大きな問題でした。現在は個性や多様性を認めて行こうとしている時代です。この時は、ユニバーサルデザインなどの考えはなく当時は、多数と違うものは排除してしまえという考えが強かったと思います。私の記憶なのであいまいや間違いの部分もあると思います。ご了承ください。

入学までの記憶

「就学前の検診などで普通小学校に行きたいといっている障害児がいる」となったのでしょう。親には養護学校に(現 特別支援学校)に進むよう役所からは言われていたのだと思います。私に「みんなと同じ学校に行きたい?」とよく聞かれていたからです。

家庭内の様子皆さんは気を付けてください

「みんなと同じ学校に行くならまっすぐ座れ」など。そんなの当たり前と言われる方も多いでしょう。それは間違いです。なぜなら、40になってもこうやってはっきり残っています。親としては「ちゃんとできるか不安」だから口調が強くなる人もいるかもしれません。しかしそれは自分の面子のために言ってないかを考えてください。「恥ずかしい、みっともない」などの感情がありませんか?親でもないやつに何がわかる!」確かにそうですね。しかし、あまり強すぎると私のようなマイナス思考人間になり、幸運の神様から嫌われる日々になりますよ。私は「注意する方が、どう思うからを説明して一緒にやってくれる」というようにして行動していけば変わると思います。「恥ずかしい」とかいうのは誰かと比べていますよね?比べられると自然と、私ではないほうがいいのかと思うのです。たとえ親の期待の裏返しだとしても。皆様はお子さんやパートナーに愛情証言されているでしょうからこうなる可能性は低いと思います。でも自分の気持ちだけで強く注意するのだけは気を付けてください。私のように辛い毎日が多い私のようなにならないように切にお祈りいたします。

周囲の協力で役所もサポート体制に!?

親が交渉に言ったわけではありません。母は、能天気でことなかれ主義、決まったことをこなすタイプ。バカ親は口だけの見栄っ張りで、典型的な内弁慶です。母より動きませんではなぜ普通小学校に行けたのでしょう?障がい認定受けた病院は施設機能もあったので、相談員さんに話をしたようで、役所と交渉してくださったようです。役所の対応がそれ以降変ったのです。「けがの危険性とかトイレの問題とかありますので、付き添うことが条件です。設備面はできる鍵整えます」

相談員に話す前の対応

「歩けないなら対応できる養護学校」にと言わんばかりの、できない事やけがの危険をいわれていました。しかし、親は「子供がみんなと同じ学校に行きたい。」というからと首を縦には振りませんでした。唯一そこだけは感謝です。

次は知能的な問題を持ち出されてきたようです。「知的障害は認定されていませんよ。」と親が伝えると「赤ちゃんの頃の認定ですからね。」と信用ならないと言わんばかりの反応だったそうです。そこで相談したようです。そのあとから前回書いた記事のように様子を見に来られたりが始まって、家にも来られて面談その中で、日付を聞かれたり名前を書いてみてなど今思えばテストが始まっていたのでしょう。その面談は数回続きました。「前の時のこと覚えているかな」とか記憶テストもされた覚えがあります。推測ですが、治療している病院にも知的障害などがないかの問い合わせもされていたのだと思います。診察に行ったときに、いつもと違う質問などをされたので。最後に訪問されたときのことです。「動作は障がいの影響もあり、遅いようですね。しかし、知的障害とまでは言えないし、質問の答えもそれなりですから。後は学校の判断ですね。」と言われたようです。そして最終面談は校長室でした。そこでOKが出ました。

そのあとは病院の理学療法士に来てもらい手すりやスロープが設置されました。

入学してからの記憶

入学式は普通に参加させてもらったイメージがあります。しかし、よく考えたら配慮されていたような気もします。写真の時は一番はじで足を延ばしたまま映るよりは、踏み台を足置き代わりにさせてもらった。今でも記憶に残っているのは隣に座っていた子に勇気を出して話かけたら気軽に返してくれたのです。「やった僕でも友達出来た」と思いました。

1年生

ある日友達が「あなたは触らなくていいの!」と担任がせっかく車いすに興味を持った友達に言ったのです。さらに車いすを押してくれようとした友達にも「危ないから押さなくていい」叱るのです。これもあって友達とは距離が出来たと思ったのです。やはりみんなとは違うとも強く意識させられる出来事でした。その友達の親御さんがなぜか「すみません」とお詫びされたようです。うちの親は「気にせず車いすをどんどん触ったり、押したりしてください。」と伝えたようです。今考えれば担任はけがをされては困る。自分の管理が悪いと言われたく思いが強かったかなと今では思います。

2年生

担任が変わったのです。(産休で)これがまた私にとってはいい方向になったような気がします。

「付き添うという条件」を無くしていこうかという提案をしてくれたのです。そのとき校長先生も変わっていたのもよく作用したかもしれません。段階的付き添いを無くそうということになっていきました。

まず、親が教室の後ろではなく、別室(保健室)で授業中は待機しよう。から始まり、週に2回は送迎のみで、その間は別の先生が対応する。ことにしてくれたのです。

先生の目的

親がいつも学校にいる環境は普通ではないし、困ったら親がいると思えば他人に頼むことをしなくなる。それでは友達もできないからよくない。周りも近寄りにくいとか思って避けるから変えていこうという提案をされたようです。

提案を実行した結果

やはり人との交流をしてこなかった私には孤立感が半端なくありました。でも同性のクラスメイトには何とか話すことが出来るようになり、少しは一般の学校生活に近づけました。しかし親の代わりについてくれた先生にはなかなか話すことが出来ず悪戦苦闘したのを覚えています。先生に聞かれたことを答えるだけでした。ある日先生が「幼稚園では普通に遊んでいたでしょう?」と聞かれたので答えていたら、「様子を見に言ったのは時は砂場で遊んでいたでしょ?」と聞かれあの時の人かと思うと少し話しやすくなったのを覚えています。低学年の頃はこんな感じで過ごしていました。

お願い(まとめ)

  • いくら心配でも強く否定はしないでください
  • 個人の事情にもよりますが、基本は積極的に話しかけてください
  • 幼少期の影響は大きいのでプラスの声掛けを意識してください

最後までお読みいただきありがとうございました。