<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>小学生 | ゼロからの挑戦</title>
	<atom:link href="https://zenmiyabi.net/tag/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E7%94%9F/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://zenmiyabi.net</link>
	<description>収益化への道</description>
	<lastBuildDate>Wed, 29 Jul 2020 14:33:38 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=7.0</generator>
	<item>
		<title>小学校の思い出2</title>
		<link>https://zenmiyabi.net/%e5%b0%8f%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%81%ae%e6%80%9d%e3%81%84%e5%87%ba2/</link>
					<comments>https://zenmiyabi.net/%e5%b0%8f%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%81%ae%e6%80%9d%e3%81%84%e5%87%ba2/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 05 Feb 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[小学生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://zenmiyabi.net/?p=42</guid>

					<description><![CDATA[&#160; 今回は、テストのことなどごちゃまぜになりますが書きたいと思います。恥ずかしいですが全て書きたいと思います。 まずは、テストです。低学年の間は、業者が作っている問題でも授業を聞いていたらそれなりに点はとれてい [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">&nbsp;</p>



<p class="wp-block-paragraph">今回は、テストのことなどごちゃまぜになりますが書きたいと思います。恥ずかしいですが全て書きたいと思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">まずは、テストです。低学年の間は、業者が作っている問題でも授業を聞いていたらそれなりに点はとれていました。低学年のころ印象に残っているのは、３つです。皆さんから見ればずると思われることもありますが、それは、大目にみてください。よろしくお願いします。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">１つ目</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">２つ目</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">３つ目</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">１つ目</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">「あなたは、テストの本文読んでないでしょ？これから先は点数を取るということは難しいと思うよ。」と言われたことです。これはのちに最悪の形で実現します。（涙）その時のテストは１問だけ間違ていました。テスト返却時に「この解答を書く前の解答だったら満点だったのに」と言われた後に先ほど書いたことも言われました。放課後母にも同じことを話していました。しかし、私の時はなかった話がありました。「全部覚えて怒れることはすごい。でもテストという中では中々評価されないと思います。」と話されていたと私は記憶しています。それを受けてのことだと思いますが、帰宅後「あんたは書くのが時間かかるから、書くより授業をしっかり聞きなさい。」と言われて私はへこんでいるのにさらに「あんた問題の文だけ読むのじゃなくて、本文も読みなさい。そうしないと点取れない。」と追い打ちをされました。少し話変わりますが皆様にお願いです。皆さんは、褒めるを７、注意を３にしてあげてください。根拠や信頼という点では全くない私ですがこれだけは断言します。そうしないと私のように超マイナス思考の自己肯定力ゼロの人間ができます。皆さんは楽しい毎日を送りたいですよね？それはやはり、相手を褒める量を増やすことです。ほめようと思って相手を見ると、せめて心が少なくなると、気持ちもおおらかになるのではないかと思います。マイナス思考の私が言っても共感していただける方はいないと思います。語弊がありますが、みなさんが、実験してみてください。悪くするなら皆さんは嫌でしょうが、よくする方なのでぜひやってみてください。ザ・他力本願です。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc2">２つ目</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">低学年の時は、漢字を私としてはきっちり書いているつもりですが、すき間があった手はいけないのにそれがあるように見える。はねが不十分だったり、厳密に言えば得点にできないものも点数をいただいていました。先生たちは親に「しっかり止めやはねをしないと点数もらえませんよ。私たちは本人の状況とかわかっているから、対応できますが、知らない人なら間違いとするから正確に書いていないものは次から間違いにしますね。」みたいなことを言われたようです。今となっては、先生たちが言われことは理解できます。その当時、なぜそんなことを言われて急に間違いとされるのかわかりませんでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">また話をずらしますが、文字を書いたり、読んだりするのが苦手だった私でも勉強することはありました。そんな時、漢字の書き方を聞くと書き順などはあまり教えてくれず、とりあえずその形のようにかければいいという感じでした。そんな環境で成長したので、急に間違いにされたのが本当に不思議でした。それより不思議だったのは、急に対応の変わった家族です。それ以降は「漢字は正確にか基準通りに書きなさい。」というだけ。色々聞いても教えてくれず。間違えたところは強く注意される。こんな環境に急に変わりました。また皆様にお願いです。最初に覚えたことを途中から変えるのはとっても難しいので最初から難しくても正しいことを根気よく教えてあげてください。そうしないと後で書く悲劇に遭います。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc3">３つ目</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">宿題は一応していました。今思えば大目にかなり見てもらっていたかもしれません。高学年の時は、漢字２００字が宿題のうちの一つでした。それでずるをしていました。漢字は私が書いて、読み仮名を母に書いてもらっていたのです。先生は、それをわかったうえでのことだったのでしょうが、あと時から放課後漢字を書いて下校するようにしようと言われクラス全員がそうなりました。そうなった理由は、数人が宿題をしてこないから。というものでした。そこで改めて私は友達とは違うのだと実感するのです。速い人は、１５分で終わって下校する。そうでなくても３０分もすればみんないないのです。私が、終わるのは早くて５０分。かかるときは、１時間３０分ぐらいでした。同じ漢字は３回までというルールだったのですがそれを見て先生が「お前は１行同じ漢字をかいていい。」と配慮。一つ悲しい出来事が、漢字を選んでいたとき「お前の名前の漢字を練習すれば」と見本書いてくれたのです。私はショックでした。そのころ国語のテストで逆満点を取ったり、いやなことが続いていた上に自分では書けているつもりの名前を練習するからです。しかしここからが違います。「お前の名前の漢字は高学年で習う漢字。書き順通り書いて、まっすぐ書けたらかっこいいから」とフォローしてくれたのです。同じことを言うにしてもうちの両親とは大違いです。ですので、皆様も発言の仕方にはお気を付けください。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ここからは思い出です。６年のころの話です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">夏休みに担任の家に何人かで遊びに行くことになりました。教室で「遊びに来るやつは何人くらいか手を上げなさい。」と言われたのでおふざけで私も上げると、「よしみんなで私を一緒に連れておいで。水着も持っておいでね。プール行くから」と言われて行くことになりました。今も印象に残っているのはウォータースライダーです。先生が私を連れて上に行き、ほかの利用者が途切れたところをみはからい下にいる友達に「今からこいつが滑るから救い上げてやってな」と私だけ穴の中へ、無事したで救い上げてもらいました。最初で最後のいい経験でした。先生の家に移動している時に悪ふざけが始まりました。「先生は大丈夫かって止めたけど私が滑ると言ってきかなかった」と、ほとんど嘘なのです。実際は「今しか経験できんと思うよ。したでみんなが救いあげるから大丈夫。」と説得される感じです。切り返しになりますが、貴重な経験をさせてくれたみんなに本当に感謝です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　貴重な経験をもう一つ書きたいと思います。卒業記念に日本一の石段を登ろう。保護者も含め希望者で行くということだったので、当然私は行くつもりはありませんでした。しかし、そのときは先生ではなく友達が「行くよね？来るだけでいいから。」と次から次に言われるのです。以前、私を嫌っていた友達まで。後から分かったことなのですが、先生は軽く言っただけで、友達が私を連れて行きたいと言ってくれたそうです。そんなこんなで、参加することになりました。石段の下でみんなを待っているものと思っていましたが、なんと上りは、友達と保護者の方が背負って連れて行ってくださいました。本当に感謝です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">先生は本当に茶目っ気がある人でした。最後の社会の授業の時の話です。振り返りも兼ねてクイズ形式でわかったら手を上げて先生がその中から指名して答える形でした。室町幕府で金閣議を立てたのは？という問題までは私も手御上げていました。銀閣寺を立てたのは？この問題は手を上げませんでした。しかし私が指名されたのです。その瞬間教室が笑いに包まれました。そうです字はt違いますが、読みは同じヨシマサだったからです。本当にメリハリの利いた先生でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　卒業式前日も急に家に来て「明日のリハーサルをするから顔を貸して」と言って連れていかれて本当にリハーサルをしました。卒業式当日は、ひとりひとり証書を受け取りに行く形式だったので私も受け取り行ったとき、校長先生が涙声で読まれるのです。それを聞いて「先生も定年だから？」と「私のことを気にかけていただいた」のだと思っていました。ちなみに担任だった先生は今校長先生をされています。何度も苦理解しますが、私を受け入れてくれた小学校には感謝です。合理的な配慮をいただいた事にも感謝申し上げます。こんな学校が増えてくれることを切に願います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">最後までお読みいただきありがとうございました。</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://zenmiyabi.net/%e5%b0%8f%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%81%ae%e6%80%9d%e3%81%84%e5%87%ba2/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>小学生の思い出</title>
		<link>https://zenmiyabi.net/39-2/</link>
					<comments>https://zenmiyabi.net/39-2/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 03 Feb 2020 23:00:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[小学生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://zenmiyabi.net/?p=39</guid>

					<description><![CDATA[今回は小学校の思い出を書きたいとおもいます。 出生時の話に戻ります。生まれて、標準的には首が座ってもいいころになっても私は首が座らなかったようです。出生時の病院か別の病院からかはわかりませんが、専門的な施設を紹介されたよ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">今回は小学校の思い出を書きたいとおもいます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">出生時の話に戻ります。生まれて、標準的には首が座ってもいいころになっても私は首が座らなかったようです。出生時の病院か別の病院からかはわかりませんが、専門的な施設を紹介されたようです。そこで障がい認定１級を受けました。生まれて１年ほど経った時でした。そこは、施設と病院機能を併せ持つところで、都道府県も運営に関わる所でした。先ほど病院機能も併せ持つと書きました。病院機能について書きたいと思います。診療対象は、整形外科、小児科、歯科、リハビリテーションです。病院機能を担っていたのは、なんと私が生まれた大学病院の医学部の教授が責任者でした。施設機能は、基本18歳未満までとなっています。そのため18歳以上で入院するには治療必要があると認められたら可能です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">私はそこでリハビリや必要があれば治療（手術）をしたりしました。そこは、小学生以上は１人で入院するのですが私は入学前に治療することばかりだったので祖母と一緒に入院していました。祖母のおかげだと思いますが、看護師さんや先生には評判が良かったのです。小学生にはなってから、早退してリハビリに行ったり、していました。数か月に１度は診察があり嫌でした。「歩く練習せんといかんよ」とか注意されることが多かったからです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この話をしたのは、だれでも買われるという話をしたいからです。５年生の時の話です。入院して手術することになりました。５月から８月いっぱいの予定だったのですが、その期間で行内キャンプが予定されていたので、私は残念なようなほっとしたような複雑でした。勉強は、病院に分校があったので転向扱いになりました。分校での話はまた別の部路にしたいと思います。私の受けた治療は、なるべく本人の筋力を保つことを目的にして治療でした。そのためなのか、余計な力が入っている筋肉を少し切るというものなので術後2週間でギブスを外してあとはリハビリするという流れでした。ギブスが外れてリハビリに入れば、土日は外泊可能だったので、ほとんど外泊していました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　家に居るときに電話が鳴りました。出てみると「元気？」とか聞かれて「誰だろうと」思って聞いたら、「担任の声忘れた？もういい知らん。」と、ちゃかす先生でした。そのあとも何度か連絡をくれました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">あと１か月くらいで退院予定の日が来るというとき、看護師さんが男性を連れて分校の廊下を私の方に歩いてくるのです。そして私の名前を呼ぶのです。私は視力が悪いので、近くに来られてよく確認しました。すると校長先生でした。しかも手には袋があってその中にはチョコレートが沢山入っていました。驚いて先生に聞くと「妹さんに聞いた。もし食べきれなかったらみんなで食べて」と言われて先生と少し話しました。その中で「しっかり、頑張ってリハビリとかして戻っておいでね。みんな待っているよ。戻ってきたら校内キャンプもあるからね。」え？たしか私が、入院中に終わっているはずでは？と思っていました。その日、看護師さん「遠く離れたところに、担任の先生が来るのだけでも珍しいのに。一人の児童のために校長先生がお菓子を持ってお見舞いに来るなんてすごい。親戚とかじゃないよね？」と私に聞いてこられました。今となってはすごい事と分かります。私が２年生の時に赴任された先生でした。これは偏見かもしれませんが、車いすだというだけで、事なかれ主義の人ばっかりではないかと思っていたので。本当に私を受け入れてくれた小学校はすごいと思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">退院後、本当に校長先生が言われていたように校内キャンプがありました。私も参加しました。のちに分かったことなのですが、学年の先生たちに了承を取るのも大変だったと思いますが、それを校長先生話すのは更に大変だったと思います。しかもその年はグランドの工事が予定されていたにも関わらず予定を変えてくれた先生方はすごいの一言です。またそれを私に説明するのがひとひねり、「お前がいない間にやっていたら枕元に恨み節で立たれるのがいや」そもそも私立てませんよ。友達も変更を受け入れてくれてありがとうの一言です。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">６年生</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">パス練習</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">体力づくり</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">シュート練習</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">６年生</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">私たちのクラスは掃除当番とかに職員室や校長室なども入ってきました。それらの場所も私がグループの中もと一緒に掃除しました。掃除の時は床にじかに座って雑巾がけをやっていました。これも校長室での話です。冬も雑巾がけをしていたら、「冷たいでしょう」と言ってあるものを入れてくれる校長先生でした。そうです。バケツの水に、過失のためにストーブにかけてあるお湯です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">クラブ活動もバスケットボールクラブに入りました。担当の先生が、担任の先生だったので「先生が、６年生の時も担任だったら入っていいですか？」これまた意外な答え「別に誰が担当でも入ればいい」と私自身も断られると思っていたので本当の驚きでした。担任が変わらなかったので、本当にクラブを選択しました。実は担任がバスケットボール関係ではすごい方でした。九州の審判部長をされていたのです。今考えたら、数日休みを取られていたのを思い出しました。その時は他県で行われる試合の審判をされていたようです。先生が学校に来られた時、さとうきびをお土産もらってかじったことを思い出しました。クラブ活動はバスケットの基礎練習にも参加させてもらいました。パス練習、体力づくり、シュート練習、ゲーム形式、すべて参加させてもらいました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">パス練習</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">バウンドパスこれは比較的私でも取りやすいパスなのでこのパスの練習になるとほっとしていました。なぜなら１０回連続キャッチできるまでとか、私も例外なく課題が課されるからです。もちろん、キャッチできなければ。次に進めないということはお分かりだと思いますが、相手をしてくれている友達も足止めなのです。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc3">体力づくり</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">みんなは片足とびとかで、コートの中を移動している時に、私は自力で漕いで何秒以内にコートのある所までいくとか私用のメニューまで考えてもらって参加させてもらいました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc4">シュート練習</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">小学生のリングの高さは一般よりは低いとはいえ私には届きません。でも届くように練習した結果、１０回に２回は増したぐらいからですが届くようになりました。しかし試合形式では使えません。そこでどうしたらいいか先生に相談したら「どうしたいいかな」と先生も悩んでくれました。そんな時、校長先生が一言「リンガの代わりにここにゴミ箱をはめ込んだら」と。担当の先生も「それはいい。そうすればおまえも得点決められるな」とその一言で特別ルールが始まりました。そこ路から試合形式の連数の時も自分で漕いで動く様になっていました。動きが激しい時などは審判をさせてもらうこともありました。担当の先生が有名だったのもあるのか練習試合もよく組まれていました。私は応援とかタイムキーパーをやっていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">クラブ活動でする最後の練習試合、私はいつも通り応援をしていたら「最後の２分お前出す。相手チームと監督にも特別ルールをOKもらったから。」と最後に試合に出してくれた、先生や相手チームに感謝です。本当に頑張ったらいいことあると思った瞬間でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もう一つ印象的ことがあるので次回のブログで書きたいと思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ぜひまたお読みいただければ幸いです・</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://zenmiyabi.net/39-2/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>運動会</title>
		<link>https://zenmiyabi.net/%e9%81%8b%e5%8b%95%e4%bc%9a/</link>
					<comments>https://zenmiyabi.net/%e9%81%8b%e5%8b%95%e4%bc%9a/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 Jan 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[小学生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://zenmiyabi.net/?p=33</guid>

					<description><![CDATA[私たちの時は、朝から夕方まである感じでした。プログラムも四十何番までありました。この話は、5、6年生合わせて書きたいと思います。障がいを持った子を参加させる運動会はどんなものだと思われますか？見学が多く、参加するにしても [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">私たちの時は、朝から夕方まである感じでした。プログラムも四十何番までありました。この話は、5、6年生合わせて書きたいと思います。障がいを持った子を参加させる運動会はどんなものだと思われますか？見学が多く、参加するにしても、プログラムの案内をしたりする。又は、本部テントにいると思われる方が多いのではないかと思います。前回も書きましたが、私を受け入れた小学校は本当にすごいです。凄さをつたない私の文章力で伝えられるかわかりませんが、おこしくださった皆様今回もよろしくお願いします。</p>



<p class="wp-block-paragraph">運動会は、入場行進から始まりますよね？それも、もちろん参加です。しかも車いすを友達に押してもらっていく感じです。「私は進行しているのだからちゃんと手を振りなさい。」と言われていたので必死に振っていたと思います。今考えるとこれもリハビリを兼ねていたような気がします。当時は「筋力強化や可動域を広げるために動きなさい」とお世話になっていた理学療法士さんからいわれていたのでそれを取り入れてくれたのだと思います。ラジオ体操も同様です。運動会最中は、本部でテントではなくみんなと同じテントに居ました。私の学年が出る競技が来ました。色々あったと思いますが、おぼろげながら覚えていたり、印象的なものだけ書きますね。</p>



<p class="wp-block-paragraph">綱引き、かけっこ、学年で披露する踊り、騎馬戦、組み体操です。文字数稼ぎにまたお付き合いください。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-6" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-6">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">かけっこ</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">綱引き</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">学年で披露する踊り</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">組み体操</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">騎馬戦</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">かけっこ</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">5年生の時は、グランド半周、6年生は、１周でした。当時の私は、松葉杖とくるまいすをつかっていました。ここで、こう書いたということは勘のいい方ならおわかりでしょう。そうです。杖でその距離を進んだのです。もちろん運動会の　何週間前から友達や先生に付き合ってもらって練習しました。その時に、先生や友達がタイムを計測してくれました。「短縮できたよ。」と言ってくれる先生や友達の言葉を聞いてうれしいと思って練習するばかりでした。時々先生が会議でいないときがありました。後から分かったことですが、その会議は運動会についてだったのです。全体のこともあったでしょうが、やはり私の事だったそうです。その会議は私をかけっこに出すべきかなどで議論になったようです。そこで担任は「見学」ではなく、出すことを強く訴えてくれたそうです。次は、距離や時間、方法の議論になったそうです。時間については７分ぐらいでした。［その時間みんなやお客さんをまたせていいのか］という意見がでたのでしょう。その対処は、友達に会議の中で私を運動会に参加させるか、見学させるかなども含め意見を聞いたのです。そこで最後の議論は、方法でした。「松葉づえより車いすのほうが安全で速いのでは」とまたそのとき、担任が「本人がやると言ってますし、友達も協力して練習したら時間も少しずつみじかくなっているから」と説得してくれたそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そのおかげもあって当日は、杖でみんなと同じ距離を歩くことが出来ました。そのときは、６分を少し切る時間で歩けました。先生が「今日が一番速いやないか、練習の時、力を抜いたな」とからかわれるだけ。裏も事は一切言わず。</p>



<p class="wp-block-paragraph">まさに本人がしたいということと安全に配慮したうえで最大限実現させてくれる。本当の意味での合理的配慮だと書いてる今はつくづく思います。本当に感謝です。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc2">綱引き</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">グランドの中央に綱がよういしてあって、ピストルの音を合図に駆け出し綱を引き始める競技でした。５年生の時は、先生に車いすを押してもらい参加しました。そのとこも配慮があったのです。ピストルの音と同時に押してもらって綱の方へ途中で「自分で漕いでみようと」綱の近くから綱まで漕ぐことにその間先生は綱引きに。競技が続いていれば、綱を握らせてくれ輪状化を味あわせてくれたのです。６年の時は、さすがに参加は難しいだろうと思っていました。競技の勢いが５年生の時とは全然違っていたので。しかし先生方がまた配慮くださったのです。確か、昨年はピストルの合図は朝礼台の所だったのが、綱の中央が見えるグランド内のはじに変更されたのです。そして、合図するのは私でした。終わりの合図は、審判の先生がした合図を近くにいる先生が教えてくれ鳴らすという感じでした。私が在籍していたときは、私ほど重くわないと思いますが、事情で競技に参加できない友達もいたので、交互にその役割をしていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc3">学年で披露する踊り</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">先生から車いすを押してもらって参加しました。「できる振り付けを頑張ってすればいい」と言われて頑張りました。ここでも先生凄いと今だから言えます。私が、ふざけたり、手を抜いた時はすかさず叱られましたしみんなと同じようにゲンコツをもらうこともありました。こんなところでも変な配慮せず、同等に見てくれていた先生方は本当にすごい先生方と本当に思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc4">組み体操</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">扇、飛行機、電柱、サボテン、ピラミッドだったような気がします。扇は真ん中が私で、両サイドの友達の手を握る形ならできるかなと思っていました。残りは、見学だろうと思っていました。またここで担任が「ピラミッド以外はお前も参加だからな。ピラミッドも隣で土台の姿勢はするんだからな」と、私も参加することになりました。ここで問題が、私の担任をしてくれた先生は、１８０センチを超える長身。私は高所恐怖症だと思います。さらに姿勢を保つのが難しい私には恐怖の形が２つありました。電柱とサボテンでした。先生も支えるのが大変だったでしょうが、「なんでも経験」と参加させてくれました。そのときは恐怖心で、嫌だなと思っていましたが、今となっては経験させてくれたことに感謝です。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc5">騎馬戦</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">さすがにこれは見学だろうと思っていたら、ここでも先生方が。旗持ちという役割をさせてくれたのです。相手の旗持ちは、綱引きの時に書いた事情で参加できない友達でした。先生は「旗持ちも大事な役割だからね。もし倒したら負けにするからね。」とモチベーションを上げる配慮。相手は冷めた反応でした。自分でいうのもへんですが、私は影響されやすい性格なので、ひとり「倒さないように持たなくとは」とかひとり緊張していました。６年生の時も旗持ちだろうと思っていました。しかし、その考えが甘かったのです。先生が体格のいい友達を集めて何か話している。「何だろう」と思っていると、その友達と先生が私の所に来ました。そこで騎馬の形を作りました。次に先生は「お前が大将の騎馬に乗って入場門から所定の位置まで移動してそこで降りて旗持ちな」と伝えられたのです。組体操の所でかきましたが、高所恐怖症で姿勢を保つのが難しい私です。多分先生方は挑戦する大切さを教えようとしてくれたのでしょう。騎馬になってくれた友達が「絶対落とさないから、出来るだけまっすぐ堂々としな。男やろ。」この言葉を言ってくれた友達はなんと「障がい者は養護学校に行け。」といった友達です。これも繰り返しになりますが、人は変れます。これが実例です。私を受け入れてくれた小学校は校長先生をはじめすごい先生達ばかりだったのだと改めて思います。校長先生のエピソードもまたブログで書きたいと思います。またよろしくお願いします。</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://zenmiyabi.net/%e9%81%8b%e5%8b%95%e4%bc%9a/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>小学校授業</title>
		<link>https://zenmiyabi.net/%e5%b0%8f%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e6%8e%88%e6%a5%ad/</link>
					<comments>https://zenmiyabi.net/%e5%b0%8f%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e6%8e%88%e6%a5%ad/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 29 Jan 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[小学生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://zenmiyabi.net/?p=30</guid>

					<description><![CDATA[いきなり続きを書きたいと思います。 目次 家庭科図工道徳体育ポートボール器械体操水泳 家庭科 エプロンを作るという課題の時も型紙にあわせて切るのもなかなかうまくいきませんでしたが、なるべく自分でしなさいと挑戦させてもらい [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">いきなり続きを書きたいと思います。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-8" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-8">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">家庭科</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">図工</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">道徳</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">体育</a><ol><li><a href="#toc5" tabindex="0">ポートボール</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">器械体操</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">水泳</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">家庭科</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">エプロンを作るという課題の時も型紙にあわせて切るのもなかなかうまくいきませんでしたが、なるべく自分でしなさいと挑戦させてもらいました、針も使わせてくれました。ですので、針で指で刺す経験もたくさんしました</p>



<p class="wp-block-paragraph">調理実習にも参加させてもらって、ゆで卵や果物の皮むきも経験させてもらいました。もちろん、包丁でと言いたいところですがピイラーでした。包丁も握り方とかは教えてもらい少し使わせてもらいました。（手を添えてもらってでしたが）そこでまだ早いと思われたのでそれだったのだと思います。皆さんすごいと思いませんか？</p>



<p class="wp-block-paragraph">30年近く前ですよ。私を受け入れてくれた小学校は本当に今考えるとすごいです。その当時の世の中は、障がいがあれば、隔離してしまって別世界の人間のように扱われていたというのが私のイメージです。もし違うようでしたらすみません。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc2">図工</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">印象に残っているのは版画です。確か4年生までは紙で形を作って済を塗って画用紙に押す紙版画だったと思います。この学年からは、デザインを決めたら、紙で作るのではなくトレーシングペーパーに写した後、木に写して彫刻刀で彫る方式に変わったと思います。そのときも「気を付けて使いなさい。」と言われるくらいでした。私がわかる範囲では。今思えばですが、見回りの時に声をかけてもらうことが、多く、さらに作業が早く終わった友達が「大丈夫？」とよく声をかけに来てくれていたなと思います。先生が私に築かれないように、友達を近くにいるように配慮してくれていたのだと思います。こんな感じで挑戦と配慮が絶妙な先生でした。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc3">道徳</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">「一杯のかけそば」や「笠地蔵」などの話やクラスメイトの中には、生まれてすぐ手術をしなくてはいけなかったらしくお腹に傷跡があることの話やじぶんたちが、存在するためにはどいう過程かなどもしておくべきとそのような授業もあったと思います。何度も同じことをかきますが、現在でもタブのように扱われていることの話題を、道徳のなで取り上げるのは本当にすごいと思います。道徳の中で、「私は」王様なのか？というド直球のテーマもありました。その中で先生が「自分の分かる範囲で今までのことを話しなさい。」とみんなの前で話なさい。」と言われたので、その当時、分かっていた。8か月で仮死状態で生まれてきたこと。小さいころから歩けなかったこと。手術したことなどを話しまいた。そのあとは。みんなが私に対して思うことを言いました。細かいことは思い出せませんが、「積極性がもっとあるといい」,[自分でできることを頼むことがある]とかだったと思います。少しはプラスなことも言われた気もします。でも覚えていません。このことでお判りでしょう。根っからのマイナス思考であるということが・・・。これをどうにかしないといけないとはわかっているのですが、どうしていいのかわからなかったので、苦手な文書作成や継続を出来たらいい方向に変わるかもと思って安易に始めました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">話を戻しますね。ある程度意見が出て先生が、「確かにお前は消極的で頼りやすい人に頼る傾向はある。今からお前も色々殻を破る必要はある。今からの話はみんなにも関係するからね。」と前置きをして話してくれたものが「チャンスの神様」の話です。皆さんご存知ですか？ご存知の方も文字数稼ぎで書かせて下ださい。正確性に欠けたらすみません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「チャンスの神様がいて、その特徴が、ものすごく動きが素早くて髪の毛が、前髪しかない。だから迷わず神様の髪の毛をつかんだ人がチャンスをものにできる。後からつかみに行こうとしてもつかめない。神様はいつ現れるかわからない。神様をつかめるのは早いもの勝ち。」という橋をされました。そのあとみんなで考えて発表。どんな意味があるか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">先生が「何事も積極性が大切」ということを念押しされました。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc4">体育</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">みんなと一緒に参加していました。体育にも色々ありますよね？印象深いいのが、ソフトボール、ポートボール、器械体操、水泳です。体育ではありませんが、運動会も印象深いので、話していきたいと思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">まず、ソフトボール</p>



<p class="wp-block-paragraph">今思うと、友達も怖かったかもしれませんが、ピッチャーで投げさせてもらったりしました。そのとき「あったたらどうするの？」と先生が、「当てないように打て。」というときもあれば、また違う日は私に飛んできたら取れよ。」言ったりしていました。今も動くものを取るのはほとんどうまくいきません。そのときは、4，5歳で近くでボール投げてもらってもたかなか取れないのをドラマとかで見ますよね？そのレベルでも参加させてくれていました。本当に感謝です。さすがに「毎回そんなだとみんなが思いっきりできないでしょう？」と思う方もいますよね？確かにそうです。しかし、ここで凄いのが、「今日は審判ね」と見学ではなく輪の中に入れてもらっていました。テストの時はさらに特別ルールのようなものまで作ってもらっていました。もちろん本物のテストはしたうえで私が楽しめるように考えてもらっていたのだと思います。次のようなルールだったと思います。私が10宮中何球バットに当てられるかを競うのです。普段とは真逆ですよね。こうやって工夫をしてくださっていたのです。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc5">ポートボール</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">スピードのあるものはどうやって参加したと思います？車いすを友達に押してもらって参加するのです。ボールは大木とはいえ、キャッチ能力は先ほど書いた通りです。ですから基本、近くで渡してもらう感じです。さらにここで特別ルールです。私がボールを持ったら、友達が押して二歩進んでいいパスコースの邪魔はいいけど、車いすに触れたらだめというものです。ここでも独自のルールを作ってもらって参加しました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc6">器械体操</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">鉄棒の時は、回る感覚を経験させてもらいました。マット運動でも側転の感覚を経験させてもらったり、跳び箱の感じも踏み台や箱の上に載せてもらったりして様々なものを経験させてもらいました。組体操にも参加させてもらいました。これは運動会のとこで書きますね。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc7">水泳</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">みんなと一緒にプールにはいりました。そこで、みんなが25メートル泳ぐ練習している間プールサイドにつかまって」水中歩行練習したりしていました。もちろん浮き輪付き。今日も歩行訓練かと持っていたら、先生が、浮き輪を外して「お前も泳ぐぞと言って、手を引っ張って、泳ぐ練習もあったり、プールの中でも配慮してもらいました。でも先生方はまだすごかったです。お腹を手で支えるから、あとは自分で手や足を動かしてどれぐらい進めるかやってみようと、本当に泳ぐ感覚を経験させてもらいました。さらに水中だったら、浮力が効いて歩きやすいかもしれないから、歩いてみようといわれてつかまるところないところで、まずは立つだけ。しかし、すぐに水の中に、そうなったら先生から起こしてもらうの繰り返しをしていく中で、10秒ぐらい立てる様になって1，2歩なら足が出せるようになりました。みんながテストの時に、私のテストはお腹を支えてどのぐらい泳げるかと、どのぐらい水中で立った姿勢で入れるかのテストになりました。。</p>



<p class="wp-block-paragraph">これぞ合理的配慮というのではないでしょうか？いきなりすみません。のちにブログに書きたいです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">毎回の事ですが、ここまでお読み美忠樹ありがとうございます。また次回も是非お読みいただければ幸いです。</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://zenmiyabi.net/%e5%b0%8f%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e6%8e%88%e6%a5%ad/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>ポジティブになれ</title>
		<link>https://zenmiyabi.net/%e3%83%9d%e3%82%b8%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%96%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8c/</link>
					<comments>https://zenmiyabi.net/%e3%83%9d%e3%82%b8%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%96%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8c/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 27 Jan 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[小学生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://zenmiyabi.net/?p=28</guid>

					<description><![CDATA[<p>ポジティブ</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">記憶はあいまいなので、想像もありますがお読みいただいている皆様には感謝申し上げます。学生時代は、勉強できない代表です。繰り返しになりますが、私がブログを始めたのは1円稼げるかな？ネットで色々調べたら「ブログ1記事あたり３０００字以上書かないといけない。文章力も必要。継続すること。１００記事以上。などたくさん書いてありました。皆さんのご想像通り全て私には難しいものです。でも挑戦してみようと、３日ほど前から始めました。まだ２記事しか書いていませんが、相当時間がかかりました。１記事６時間くらいかかりました。「そんなにかかってこの文章力」と言わないでください。タイピングもかなり、遅いのもあります。でもこんな私が１円稼げたら凄くないですか？それも他力本願と言われたらそうかもしれません。ブログを見ていただいた方のちからですから、閲覧者が多くないと、収益の土俵にすら乗れないからです。この文章も文字数稼ぎ書いています。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-9" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-9">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">「できる」の続き書きますね。</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">３年生</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">4年生</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">5年生</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">「できる」の続き書きますね。</span></h2>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">３年生</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">私に付き添いをしてくれていた先生が担任になってくれました。２年背の時は、週に2日が母の送り迎えだったのです。少しずつその日が増えてきて、養護教諭（保健室の先生）がついてくる日などもあるようになりました。今思えばですが、私の人見知りやうまく溶け込めていないと先生方と母が話したりして配慮してもらったのではないかと思います。（母は授業中は、保健室で待機するようになっていたので）このころからは体育の授業も母なしで参加するようになりました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc3">4年生</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">トイレとかも友達に連れて行ってもらったり、するようになりました。このころからが皆さんが普通に送る学校生活に近くなりました。私の行っていた学校では4年生からクラブ活動が週1回授業でありました。私は、将棋クラブにしました。顧問が担任、場所が私の教室。これも配慮だったのだと思います。こう書いていると今更ですが、相当配慮していただいていたのだろうと改めて感謝します。ちなみに担任をしてくれた先生達とは年賀状のやり取りをしています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">人の意識がいい方向に変わった例が次の5年生で出てきます。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc4">5年生</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">クラスがあって新しい先生が担任になりました。ちなみに、先生はその小学校に5年ぐらいいた先生でした。年齢は28歳ぐらいのスポーツマンでした。この先生がまたすごい先生でした。これもい生でかかわっていただいた先生と母や祖母のおかげだと思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">2学期が始まってすぐ席替えがありました。そこである友達と一緒になりました。最初は冷たい感じでそっけなかったのですが、取れないものを取ってもらったり、話しかけてくれたことに答えていました。緊張しなくても足に力が入って良く机に足をぶつけたり、聞き取りにくいかもしれないが話していました。そうこうしていたら、いつの間にか冷たい感じも消えて逆にからかわれるほどです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それまでの雰囲気「あまり近づくな。なんでここにいる」みたいな感じだったので、基本いないものとして扱われていた。文章の初めで書いたように、席替えのあと雰囲気「どうした？｝と声をかけてくれたり180度変わったのです。のちにその友達が、言っていたことなので本心だと思います。それがこちらです。「障がいがあるやつが、何でここにおるん。そんな奴のために養護学校があるのだからそっちに行けよ。車いすとか邪魔。」と仲のいい友達と話していたそうです。話をしていた友達は「そこまでいわなくても」と思っていたそうです。担任も私を意図的に避けているのはわかっていたようであえて近くの席にしたそうです。話があべこべになりますが、本人と担任が話していたのをさきに書いてしまいます。これは30歳の時にあった同窓会での話です。「小学生のころお前のこと嫌いだった」やっぱりと思って話を聞いていったら先生も加わり、話が膨らみました。友達が先生に「わざとこいつと近い席にしたでしょう嫌っているのを知っていて。」先生「うん、ここまでお前が変わるとは思わなかった。」先生は続けます。「お前が」世話をするまでなるとは思わなかった。それどころか、お前は体育の帰りとわざと遅く一緒に戻ってきたやろう？なんでそこまで変わった？」友達「バレてました（笑）　障がい者は知能的に低いし理解もできないと思っていたけど。こいつ（私）は動作が遅いとかはあるけど、話は理解するし、笑うし話す。ただ歩けない、姿勢が悪いとか見た目だけであとは普通じゃん」と思ったら避けるのが、馬鹿らしくなってやめたそうです。今度は友人が先生に「校長とよくケンカしていましたよね？こいつ（私）の事ですか？」と聞いたら「体育の授業の事はそうやけど、ほかの事でも色々あった。」と話していたのを言聴いて、そこでも心の中で感謝していました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">話を戻しますが、5年生になると母は完全に送り迎えだけになっていました。授業もみんなと一緒に受けていました。移動教室も友達に車いすを抱えてもらう形で移動していました。（4年生の終わりからだったかも。）</p>



<p class="wp-block-paragraph">国語の授業では、音読もすることがありました。文字を目で追うことも苦手だったうえに、さらに人前で話すのも苦手だったので相当時間がかかりました。算数では、黒板に解答を書くこともありました。理科では、実験の時など、アルコールランプに火を付ける経験やその補充をさせてもらったりしました。余談ですが、小学校の科目の中で唯一みんなと競える教科でした。多分読んで覚えることが少なく、実際に目で見れることが多かったからではないかと思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">社会で印象が強いのは社会科見学です。今まですべての社会科見学に参加はもちろんさせてもらっていました。先生がおんぶして建物の中を見せてくれたので印象により強く残っています。その日は吉野ケ里遺跡での見学でした。ガイドの方から説明を受けながら周る方式でした。私も友達に押してもらいながら一緒に周っていました。そのとき「先生なんで僕らはあの建物に行かないの？」という友達の声が聞こえました。先生がガイド方と話して私たちも行くことになったのです。その建物の中を見れるようになっていましたが、私は無理だから下にいるものと思っていました。高床式倉庫を再現した建物だったからです。しかし、先生は「行くぞ！お前もみたいやろ？」といったのです。「でも」もじもじしていた私に「いいから行くぞ！」と上まで連れて行ってくれました。車いすは下に置いたままで。これは想像なのですが、ガイドの方に上まで車いすを上げていいかなど聞いていたのではないかと思います。おんぶで上がるのなら問題ないと言われたのでそうしてくださったのではないかと思います。私にとっては、とてもうれしいい出来事でした。なぜなら、そのころからすでに家では、買い物には連れて行ってもらえずほしいものは頼む形になっていたからです。［買い物の連れて行って］と頼むと、祖母などが「大変だから家に居なさい。」と言われていたのでなおさら嬉しかったのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">後日先生が教室で、「ガイドの方は車いすの子がいたから外した方がいいかと思って」と言われたと聞きました。そのあと衝撃の事実が「それと建物の入り口前までしかダメだったみたい。本当はだめなのですがこのグループだけ大目にみます。みんな楽しそうなので」とも言われたそうです。そういうと先生は茶目っ気たっぷりに「お前たちがはしゃぎすぎて中まで入るから」と、「いやいや先生が中も行こうと言ったでしょ？」誰かがツッコミを入れると笑いに包まれました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">続きは次回。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ここまでお読みいただいてありがとうございました。感謝申し上げます。</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://zenmiyabi.net/%e3%83%9d%e3%82%b8%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%96%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8c/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>出来る</title>
		<link>https://zenmiyabi.net/%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%82%8b/</link>
					<comments>https://zenmiyabi.net/%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%82%8b/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 25 Jan 2020 16:00:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[小学生]]></category>
		<category><![CDATA[生い立ち]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://zenmiyabi.net/?p=15</guid>

					<description><![CDATA[<p>皆さんならできる</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">皆さんはいつでも行きたい方向に進路変更できる素晴らしい人たちなのです。そんなことはない自分には無理だという方もいらっしゃることでしょう。学歴、年齢、資格がない、職歴が多いから、このどれかに該当される方ならこう考えてみてください。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc1">「学歴」</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">ないよりあったほうがいいとは思います。「マイナス思考」という記事で書いた環境で育った私には一番欲しいものです。しかし学歴が重宝するのは、初対面のときに、相手に印象付け、グループ作りの目印くらいではないでしょうか？人によっては「給料や出世に影響するだろう」確かに、しかし終身雇用で定期昇給が約束された時代でしょうか？じっさいはわかりませんが、能力主義と社会に変わりつつありませんか？</p>



<p class="wp-block-paragraph">妹は、私と同じ高卒です。私立の専願で商業系に進みました。いくつか資格は取ったようですが、決して優秀ではありません。パソコンスキルは私のほうがあります。今は2つ目だったと思いますが、パートで働き始め、現在は正規職員になっています。妹との大きな違いは、健常者か否かを除けばフレンドリーさです。職場で「あなたが先輩やったかね？どちらが上司か傍から見たらわからん」と言われるぐらい相手の懐にはいるのがうまいようです。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">「年齢」</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">私が子どものころは60歳定年でしたが、今は70歳にという議論まであったりして人生100年時代とまで言われています。健康問題と皆さんの意識の2つが解決できれば年齢を気にしなくていい時代だと思います。健康問題は意識して日々を今までどおり過ごしていただければと思います。2つ目の意識が難敵だと思います。自分中のものは、周りからの声に耐えることが出来ればいいのです。相手の決めつけや自分の意見は正しいと考えて押し通す方が一番の強敵です。実は、これで今も悩んでいます。その話はまたにしたいと思います。小学校の時に相手も純粋だったのでしょうが成功した体験を思い出と一緒に5年生で書きたいと思いますのでお読みください。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc3">「資格がない」</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">仕事に直結する資格は難しいこともあると思います。しかし、興味のある事でしたら、スムーズにできると思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「収入が上がらないと意味がない」とおっしゃるかもしれません。私は皆さんの貴重な時間を使い取り組む行動が大事だと思います。私は文字を読むのが、苦手でさらに文字を書くのも遅く、テストは散々ですが、資格は持っています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この詳しい話は別のブログでさせていただきます。10年以上前の資格ですが、サーティファイ主催のエクセル・アクセス検定1級と情報処理検定2級　プログラム言語　C　java の３級を持っています。これらに共通するのは、問題部が少なく回答もマーク形式だったことです。ですので、皆さんはさらに能力が高いので大丈夫です。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc4">「職歴が多い」</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">面接では不利に働くと思います、しかし私には羨ましいです。なぜだかお分かりですよね？そうです。選ばれた人材の証明だからです。仕事をするときには採用面接などがありますよね？そこでこの人に働いてもらうと選ばれないと働けないし職歴に書いてあるということは、最悪でも1回は出勤しないといけません。繰り返しになりますが、職歴が多いことは、選ばれた人間であるという証明だと思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ここまで、偉そうに書きましたが、自分に言いたい事でもありました。能力の高い皆様が前向きに取り組んでいただければ必ずいい社会が実現できると思います。私もポジティブシンキングになるように頑張りたいと思います。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-10" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-10">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><ol><li><a href="#toc1" tabindex="0">「学歴」</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">「年齢」</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">「資格がない」</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">「職歴が多い」</a></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">小学校の話です</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">「知能や集団生活に適応できるか」</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">入学式</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">2年生</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc5">小学校の話です</span></h2>



<p class="wp-block-paragraph">前のブログでもすこし書きましたが、小学校は普通小学校に進学しました。私が「みんなと同じ学校に行きたい。」といったので、それを行政に伝えたそうです。そうすると、行政は「知能や集団生活に適応できるか、けがをした時の責任や人員を割くことが難しいなど言われたようです。」少し想像もあります。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc6">「知能や集団生活に適応できるか」</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">教育委員会の人が家に来た時に「名前は？あいうえお書けるかな？　みんなと一緒にお勉強したい？」など優しく聞かれたような覚えがかすかにあります。名前や質問には答えれたようですが、文字がうまく書けず「手にも障がいがあるので動きにくいので、理解はしていますから」と説明したり、「姿勢正しくできるかな」と聞かれ、そのときできるだけ正しくすると「話の理解はできるようですね。姿勢が保てないみたいですね」みたいなことをいわれ、親が説明する。こんなことが何度かあった後、校長室に親と病院の相談員さんとで行って色々話していたようです。私が親といったときは「みんなと一緒にきたい？」と聞かれ「うん」と答え、受け入れの条件や設備についての話になったのだと思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">階段やトイレに手すりを付けたり段差解消のためのスロープ設置していただきました。条件は、母が付き添いトイレとかは母が連れて行くというものだったのだろうと思います。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc7">入学式</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">1年生が始まり、学校生活の中で友達が車いすとか珍しそうに見たり、触ったりする中で私が乗っている時に押そうとしてくれた友達に担任が「触ったらダメ」と言って叱るのです。「なぜ」と私も友人も不思議。ケガをさせないためのようです。その友達の親も「大丈夫でしたか？すみませんでした。」と言ってこられたようですが、うちの親は「大丈夫ですよ。逆にどんどん押してもらっていいですよ。息子も友達ができる方が嬉しいでしょうし、車いすは簡単には壊れませんし、息子もそう簡単にはけがしません。」みたいなことを伝えて、友達は大丈夫でしたかと「こちらこそすみません。」と伝えたようです。翌日、友達に親が「また押してね。ただ友達のほうがケガしないように気を付けてね」と伝えてそれから、少しずつ押してくれるようになりました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc8">2年生</span></h3>



<p class="wp-block-paragraph">担任が産休に入り後任の先生が、来て2学期が始まってすぐだったと思います。「なぜずっと付き添ってあるのですか？」親に聞いていました。親が事情を説明すると「なるほどでも移動教室とかトイレだけなら、お母さんでなくてもいいと思う。低学年だから友達同士はまだ難しいけど、教員が交代で見れば問題ないのでは？」みたいなことを言って「6日のうち先生方の都合のつく日2日間くらいから試してみましょう」ということになり、そこから1か月ぐらいは移行期間のように、交互に声をかけられるようになりました。ある日から母は、保健室で待機して先生が全てしてくれる日が増えました。2学期の終わりからは、完全に母は送り迎えのみの日も出てきました。主についていただいた先生は同和推進の仕事もされていた男性でした。その方は、なんと幼稚園のとき砂場で遊んでいた私に声をかけてきた男性でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">母親が送り迎えだけの日は、先生にお願いするようになります。それの日は私にとって緊張して終わる少し嫌なしでした。そうです。家族以外の大人と話す事と親がいないのが初めてだったからです。その緊張する日々は先生方のおかげで長く続くことなく終わりました。友達も少しずつでき話ようになりました。2年生の終わりごろに親が先生たちと話していました。何を話していたのかわかりますか？　今はどうかわかりませんが、私たちの時は3年生と5年生になるときにクラス替えがありました。その事と人事異動についてでした。主についていただいた先生が移動しないこと、校長先生が変わらないことが前提ですが私が担任をして、今の体制を続けます。という話だったようです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">続きは次回のブログにさせてください。</p>



<p class="wp-block-paragraph">最後までお読みいただきありがとうございます。感謝申し上げます。</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://zenmiyabi.net/%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%82%8b/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
