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	<title>挑戦 | ゼロからの挑戦</title>
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		<title>報告15日と23日の挑戦</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Feb 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[日常]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
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					<description><![CDATA[いつもと違いますが、15日のことを少し書きたいと思います。 まず15日の目的は出会い系アプリで私に興味を持ってくれた方に会う目的もありました。 　アプリを使ったのは、やはり女性の友達も作りたいし、性的な話にも興味があり使 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>いつもと違いますが、15日のことを少し書きたいと思います。</p>



<p>まず15日の目的は出会い系アプリで私に興味を持ってくれた方に会う目的もありました。</p>



<p>　アプリを使ったのは、やはり女性の友達も作りたいし、性的な話にも興味があり使い始めました。</p>



<p>車いすだと伝えると連絡来なくなります。そんな中、その女性は、「車いすでも構わない。ただ事情があって写真は送れない。ラインは教えます、」その状態で、やり取りしていました。私の都合で昨日に待ち合わせが初めてでした。約束を2回かえてもらうなどやり取りを初めて3か月が過ぎて、初の待ち合わせでした。結果は、私の確認不足で、本当の相手の方には、すっぽかす形になりました。その方には大変申し訳ありませんでした。</p>



<p>　その日は、天神のとあるコンビニ、話は聞いていたのですがいわゆるホテル街だったようです。待ち合わせ13時でお願いしていました。出発の時から不安でした。「1人で乗せてもらえるのか嫌な顔されるのではないか」など色々考えていました。人の心の中はわかりませんが、「お客様この電車に乗られますか？」と声をかけてくださいました。さらに私が「一人で久留米乗り換えで天神まで行きたいのですが、大丈夫ですか？」と聞いたらすぐに「大丈夫です。久留米に連絡しておきますね」と応じていただき、1つ目の不安はおわりました。2つ目乗り換えの対応は忘れられたりはしないか。これも大丈夫でした。多分天神が終点の電車を選んでいただいたのでしょう。無事に天神に着きました、</p>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img fetchpriority="high" decoding="async" src="https://zenmiyabi.net/wp-content/uploads/2020/02/IMG_20200215_111925-768x1024.jpg" alt="" class="wp-image-98" width="484" height="645" srcset="https://zenmiyabi.net/wp-content/uploads/2020/02/IMG_20200215_111925-768x1024.jpg 768w, https://zenmiyabi.net/wp-content/uploads/2020/02/IMG_20200215_111925-225x300.jpg 225w, https://zenmiyabi.net/wp-content/uploads/2020/02/IMG_20200215_111925-1152x1536.jpg 1152w, https://zenmiyabi.net/wp-content/uploads/2020/02/IMG_20200215_111925.jpg 1200w" sizes="(max-width: 484px) 100vw, 484px" /><figcaption>乗り換えのホームの写真です。色々問題にならないであろうと思って取りました。<br>問題があればご指摘いただければ削除いたします。</figcaption></figure>



<p>駅から外に出るのも大変でした。中をうろうろしながら、20分ぐらいかけて駅の外に出れました。目的地に着くまでにまた迷い側溝に、はまったところを助けていただいたり、歩道の傾斜になって進みにくいところを押していただいたり、帰りなんて「一緒に駅までいきましょうか？」とまで言ってくださる方もいました。大変ありがたいかったのですが、生意気にも「自分の力で行けるか挑戦しているので」とお願いをして駅に向かいました。</p>



<p><a target="_self" href="https://zenmiyabi.net/%e3%81%8a%e7%a4%bc/">「お礼」</a>という記事でも書きましたが、改めてお助けいただいた西日本旅客鉄道の職員の方、移動中手助けいただいた皆様にお礼申し上げます。</p>



<p>コンビニについってまっていたら、女性が声をかけてきました。この方ではなかったのですが、私は間違えてしまい話をしていたら、「段差すぐ上がれないとか無理指さされて笑われた？こっちの気持ち考えたことあるのか？本当に待ち合わせを了承してくれた女性にはドタキャンする形になり申し訳ありませんでした。</p>



<p>今回、実感できたのは人のやさしさと、つめたさでした。そもそも確認不足の私が悪いのです。重度の生まれつきの障がい者には恋愛のようなことはするなという社会なのか。私を働かせてくれている福祉施設でも私には冷たい考え方があるのでどこでも一緒なのかと改めて落胆もしました。この落胆した出来事にも感謝します。</p>



<p>また近いうちに挑戦します。また報告させてください。</p>



<p>23日に待ち合わせをしていた女性とは会うことが出来ました。</p>



<p>この女性は前回とは違い、私を見ても引くことはなく逆に話しやすい雰囲気を作ってくれてました。私は不思議だったので「知り合いに車いすの人とかいるの」と聞くと、その方はは「友達にもいるし、会社でも雇用している」と言われたので、「親の世代だっと抵抗あると思うけど」とさらに私が聞くとその方は「親は障がいがあるからと避けたりはしない」と聞いた時に、育つ環境でこうも違うのかと実感しました。</p>



<p>前回と合わせてマイナスの経験だけでなくプラスの経験もさせてもらったことに感謝します。</p>



<p>最後になりましたが、前回同様に対応していただいた西日本鉄道の皆様と道中助けていただいた皆様にお礼申し上げます。</p>
]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>治療</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 12 Feb 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[卒業後]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
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					<description><![CDATA[無事留年することなく卒業することはできました、私以外の人は、推薦などで進学先は決定しています。私はそのとき思っていたのは、少しでも自力歩行ができれば、自分の好きなことが出来るだろうと思っていたので、病院の先生に相談したと [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>無事留年することなく卒業することはできました、私以外の人は、推薦などで進学先は決定しています。私はそのとき思っていたのは、少しでも自力歩行ができれば、自分の好きなことが出来るだろうと思っていたので、病院の先生に相談したところ「動きをよくする方法を考えてみるから治療してみる？と聞かれたのでお願いすることにしました。これは後から分かったことですが、幼いころから治療していただいていた教授が3月末で退官することが決まっていたから後任の先生の患者さんの手術をメインで予定されていたそうです。それなのに、急に会議で「この子の治療だけはさせてくれ」と言って、予定を変えてまで入れるから、どんな患者さんだろうと思ったそうです。そんな感じとは知らずに入院しました。</p>



<p>　入院生活が始まると、私の幼いころをしている看護師さんもいたので、「大きくなったねなどなど」祖母のおかげで評判はすごく良かったです。私の主治医は、研修中の先生でした。リハビリを担当してくれた方も幼いころからお世話になっている方でしたので、なぜ研修中の先生なのかを聞いてみました。すると「院長が見る患者はほとんどそうよ。」と聞いて初めて知りました。そのとき「リハビリも実習生についてもらうからね。」と言われたのでなぜかを聞いたら、「そちらの方が沢山時間もとれるし、貴方の人見知りも治るし」と言われて納得しました。</p>



<p>　最初の手術を受けて、リハビリを開始するころ新しい患者さんが、入院してきました。その方とは、うまく打ち解けることができました。その日も楽しく同室の方と会話をしていたら部屋に手術着の男性が入ってきて「君たちみたいに仲が良くて、素直な人は珍しい。僕もちょくちょくお邪魔するね」と、そうです。院長先生だったのです。通りかかった看護師さんもかなりびっくりしたそうです。ある診察のとき背骨レントゲンを見た院長が「性格はまっすぐなのに、背骨は曲がっているのかな」なんて言われて目をかけてもらいました。</p>



<p>　2度目の治療もあと5日で退官される先生自らが、治療すると言われ治療していただきました。なぜそこまでしてもらえたのかは本当にわかりません。</p>



<p>　治療を終えて、まだ法学を勉強したかったので、予備校に行かせてもらいました。結果はだめだったのですが、そこには母親についてきてもらって、移動などは杖で行っていました。その影響かはわかりませんが、足がものすごく痛かったので後任の先生の所に相談に行ったところ新たな治療することになりました。</p>



<p>　この治療は前任の先生が、「しないほうがいい」と言われた治療でした。だから院長先生が私の治療に関して了承を取ってからしたそうです。これも私の担当でないリハビリの方からお聞きしました。家では中々しませんが、病院では真剣にリハビリに取り組んでいました。</p>



<p>　入院生活で不思議なことがありました。それは、看護師さんから評判が良かった。しかも、ちやほや感まであったのですこれが本当に不思議でした。私の唯一のモテ期かもしれません。　看護師さんたちのおかげか、歯科治療を受けた時のことです。そこの病院は、小児が基本対象なのですが、私は幼い時からお世話になっていたので、受診できるようだったので受診しました。そこは大学病院系列なので、教育目的もあるのでしょう。その日、実習に来た先生に指導しながら治療する方式でした。治療は進み終盤のことです。「最後どうする？そのまま？何か塗る？」と聞かれた実習の方が、悩んでいると、「大丈夫この人は、何も言わないから思ったようにやってみなさい」というのです。その言い方も理解できないからという感じではなく、優しいからという感じでした。これも看護師さんが先生にどんな人かを好意的に伝えてくれたおかげだと感謝したのを覚えています。</p>



<p>　治療をある程度めどがついたころ、なかなか思い道理にはいきませんでした。しかし年齢も二十歳を超えていたのでいつまでも何もしないわけもいけないと思い色々考えました。そのとき、よく言われていたのが「自分の決めたら自分の責任」とよく言われました。ここで責任とは何と思っていました。考え方はいろいろあると思いますが、その当時は「障がいを持ったのはだれの責任で誰も責任とってない」という思いが強かったです。その思いが強いせいか今でも責任と聞くだけで嫌な気持ちになります。話がずれてしまいましたが、これから先どうしていこうかと私なりに考えたら私は、パソコンを触るのが好き。参考書や本を読むのも苦手。など色々考えたらプログラムとかだったら、本を見るばっかりでもないだろうし、実際に目で見れたりするだろうから、私向きかもしれない。プログラムを勉強するならどこかなど調べ始めました。治療予定はあと1回残っていました。それが終わるのがちょうど、年度末までに終わる計画でした。最後の治療までの間が5か月ほど自宅療養期間があるのでその期間で何かないかと思い考えました。私の問題は移動でしたので、どうしたら解決できるかを考えました。これも私には難しい事でしたが、その当時はやればできるという気持ちになっていたのでやることにしました。次回のブログで書きたいと思います。そんなこんなで、25歳の年末から仕事を始めることが出来ています。そのあたりのことをブログに書きたいと思います。</p>



<p>次のブログで、就職前までのことを書きたいと思います。今仕事させてもらっている内容なども書きますが愚痴の部分とかも出てきますがお許しください。それ以降は、ニュースを見て思うことなどを書きたいと思っています。</p>



<p>お読みいただければ幸いです</p>
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		<title>高校入試と高校生活</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 11 Feb 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[高校生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
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					<description><![CDATA[&#160; 中学校生活にも書きましたが、勉強の苦手な私がどんな風に高校を選択したかや高校生活について書きたいと思います。以前の内容と重複するかもしれませんが、中学校でどのような環境だったかをまず書きたいと思います。 小 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>&nbsp;</p>



<p>中学校生活にも書きましたが、勉強の苦手な私がどんな風に高校を選択したかや高校生活について書きたいと思います。以前の内容と重複するかもしれませんが、中学校でどのような環境だったかをまず書きたいと思います。</p>



<p>小学校の高学年の時と同じ、登下校時の送迎のみです。ただ違うのは入学当初は担任が家まで送ってくれて、私と母が話しているのをじっと聞いました。時にはそれに対して、質問されるので答えていたので毎日家庭訪問状態でした。なので、本当の家庭訪問時期には、スキップされてしまいました。入学後２，３か月は毎日そんな状態でしたので、最初はガチガチに緊張していましたが段々慣れて普段の授業の話も家では気軽にできるくらいまでになっていました。ある日いつものように話をしていたら、衝撃発言がありました。「お前は理科はできるのではなかったのか」と聞かれて不思議に思いましたが、「小学校の頃は得意でしたよ。」と答えると続けて「なぜ中学では苦手なの」とそれに私は「わかりません。なぜそんなことをいうのですか」と聞くと理由がわかりました。「小学校から送られてきた成績表で理科は4⁺で後は1と書いてあったからどうしたものか困っていたら、苦手とされていた教科が点数が良く、得意な方が悪いときたから不思議でな。」と衝撃発言。先生それ言ってはいけないやつでしょと思いながらも「業者が作成したテストではないから授業を聞いていたら応えられると」答えると「そんなもんかね」と不思議そうにその話を終えました。</p>



<p>　部活は最後まで続けることが出来たことも不思議でした。さらに不思議なことありました。それは、部活動に参加した後の方が、勉強に集中できたのです。普段だったら、国語の過去問の1回分も終えることが出来ず半分程度で集中力が切れてしまって休憩挟むほどでした。見かねて勉強に付き合ってくれていた祖母が「1回分は一気にできないと入試はだめよ」とあきれられるほどでした。そんな状態が体を動かして気分がいい日は、まるで別人、国語の過去問2回分を一気にできました。ですので、体を動かした時ほど頑張って勉強していました。</p>



<p>　特に父親が知ったかぶり人間でさらにプライドだけエベレストに匹敵するほど高いような人間でした。しかし、本人は中学卒業でした。その人物のおかげでさらに私のマイナス思考が進むのです。事あるごとに「お前は神学校に行って、国立大学に行って公務員」こればかり、成績が悪いと言えば「なぜわからんのか」と怒るばかり、ある日は、車いすだから受け入れてもらえないかもというと、「お前が訓練戦から悪い」と怒る。私には最悪な環境と進化していきました。</p>



<p>そのころ学校では、推薦入試や志望校決定していく頃でした。今はどうかわかりませんが、私が通学していたころは一般試験で合格が怪しい人を主にしていました、なので私もその対象でした。私は合否の前にもう一つ大きな壁がありました。</p>



<p>それは、試験そのものを受けさせてもらえるかどうかの壁でした。先生方が普段私が書いている文字や学校での生活の様子など伝え丁寧に試験を受けさせてくれそうな高校と交渉してくれたのだと思います。その結果、受験だけはできるようになったので、推薦という形で受験しました。どんな問題だったかをうけた友達と報告した後、私に「時間は足りたか」など聞かれたので、「できれば、時間がもう少し欲しい」とお願いしました。そして数日後、結果発表の日が来ました。私は予想通り残念でした、先生は「一般入試があるから頑張れ少しでも受験しやすいように交渉してみる。」と言ってもらえて少し嬉しかったことを覚えています。先生が「時間延長をしてもらうには、医学的に診断があった方がいい。」と助言があったので、お世話になっている病院に行って書いてもらったとき、そこのリハビリの先生が「特別支援学校も受けたらと」言われてショックを受けたことも思い出しました。そんなこんなして交渉してもらった結果、「時間延長は、県の承認などがないとできないから認められません。その他の高校だけで対応できることはします。ただ合格かどうかは厳正な結果を見てからです。」と強く念を押されて受験に臨みました。</p>



<p>　受験の合否の結果が出る前に高校に呼ばれ開口一番「合格していたらですからね」と念を押されて高校の施設を案内してもらいました。その最中、3つのことを言われました。「入学したら常に保護者の付き添いをお願いします。」「進学希望だからいいけど就職は面倒見れません。」「修学旅行は不参加でお願いします。」いわばこれらが条件だったようです。</p>



<p>合否の発表の日、中学校に集まって志望校別に聞く形式でした。そこで先生が「私も合格している」と驚いたように言われたというのを今でも鮮明に覚えています。その日のうちに合格者がそれぞれの高校に呼ばれるので、私も行きました。</p>



<p>高校生活が始まりました。ここからは想像なのですが、最初は高校の先生方は「大丈夫か。授業に付いてこれるかなど様々」あったのだと思いますが自分なりにしっかり授業を聞いたりして、定期テストも時間ぎりぎりまで使って解いていたら、神学校ではないおかげかトップグループに入ることが出来ました。中学や小学校では会の方だった私がですよ。でもこの点数がいいのも定期テストのみです。いつも先生に不思議がられていました。「なぜ定期テストではそれなりに取れるのに。」たまに赤点を取ることがあることもあったのですが、幸いにも補講は受けずに済みました。そんなこんなで1年は終わり、無事進級することが出来て、私でも人の役に立てるのは法律家かなと思って法学部死亡しました。</p>



<p>（無謀なのはわかっていましたけど。）私の学力では絶対無理の所を先生方が『推薦で受けれるように頑張りなさい』と進めるのです。その当時から想像はついていましたが、病院の先生がその大学の教授を務めてある上、なぜか私を気に入っていただけるのです。私のいないところで「うちの大学受ければいいのに」まで行ってくださっていたようです。</p>



<p>結果は別の大学を推薦で受けて不合格で悲しい結果で終わりました。こうなったのも親のせいも多少あります。なぜなら、勉強しないと知らんや他は何時間もしよるなど言うくせに検事と裁判官や弁護士の違いも判らず、知ったかぶり、さらに私立の推薦が締め切られた後、私立でもいいなど言い出す始末。ほんと無知が最大の罪だと今は思います。</p>



<p>順番が逆になりましたが、2年生の時に修学旅行がありました、最初は入学時に言われていたので、私は外れるものと思っていました。しかし、先生達や友達のきょうりょく参加することが出来ました。その旅行で驚いたことがありました。</p>



<p>修学旅行の添乗員さんが、中学の時にもついてもらった方でした。もう一つは、旅行で私のサポートをしてくれた先生と入浴していたときに言われたことが印象的でした。それは「最初は私を冷ややかに見ていたが、定期テストで他のものはざっと終わらせて寝ているが、お前は最後まで見直そうと頑張っているのを見て、見方が変わった。」と言われたことは本当に嬉しかったです。</p>



<p>最後までお読みいただいてありがとうございました。</p>
]]></content:encoded>
					
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		<title>中学校生活</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 10 Feb 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[生い立ち]]></category>
		<category><![CDATA[中学生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は部活以外のことを書きたいと思います、私の思い込みもあります。私の担任になってくれた先生は独特な考えを持っていました。なぜそう思ったのかを書きたいと思います。その先生、差別問題に関心が強い方でした。それだけ聞くと素晴 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>今回は部活以外のことを書きたいと思います、私の思い込みもあります。私の担任になってくれた先生は独特な考えを持っていました。なぜそう思ったのかを書きたいと思います。その先生、差別問題に関心が強い方でした。それだけ聞くと素晴らしい先生に思われるでしょう。前のブログで書いたように、熱血先生だったので夢中になりすぎてこんな感じです。</p>



<p>ある種の差別について、授業をそっちのけにして道徳の授業に早変わりしてしまいます。自分の思い通りにならないと気に食わない節があるのです。それで大変な思いをしました、</p>



<p>これは修学旅行の話です。私たちの時は新幹線の予定が、フェリーで大阪まで行って、帰りは日程の関係で飛行機を使うという日程に変更されました。そのフェリーでの中で集合時間に遅れたり、騒ぎすぎの面は多少ありました。そんな状況を見てのことでしょうが、班の代表者が広場に集められ開口一番「大阪に着いた。もう帰る。お前たちは学校のなめを背負っているのだから、お前たちの行動が悪ければ、悪い学校とみられる。」など３０分以上もお説教が続いたそうです。それを聞いてどちら評判を傷つけているのだろうと今でも思い出します。</p>



<p>修学旅行で初めての経験をしました。ここから少し思い出を書きたいと思います。私たちの日程は、フェリーで１泊して京都で2泊して伊丹空港から帰る。３泊4日でした。印象に残っているのが２つあります。１つ目はグループで市内観光をしながらチエックポイントを通って時間内にゴールするゲーム形式のグループ行動。２つ目は、初めて乗る飛行機でした。フェリーで大阪について、奈良公園や大仏を見学した京都の宿に向かったような気がします。ホテルの人にみんなとは、違うルートで案内してくれたのです。そのときは「みんなと違う場所を通れてラッキー」としか思っていませんでした。厨房みたいなところを通って行ったのでその気持ちが強かったのです。夕食を終えて「明日のグループ行動について説明するからグループごとに集まって」と言われたので集まって説明が終わりました。ほかのグループと同じように戻ろうとした時です。私たちのグループだけ呼び止められてこう問いかけられたのです。「何で私だけが別ルートに案内されたのだと思う？」と、するとみんなが、「段差がってスロープがないから」と答えます。また担任が「それも一つある。でもなぜ一番にホテルの人は案内したのだろう？」とさらに続け、自分の考えを言われるのです。「恥ずかしいと思うものは、見えなくスマートに対応する場合がある」と、そのとき私は、やはり恥ずかしいものなのかと思って嫌な気持ちになってその日を追えました。</p>



<p>市内観光の日です。学校で何処を周りたいか、どの順番でいくなど話し合った通りに行こう！と出発しました。初めての場所で、不安と楽しさが同居していました。これはどのグループでもあったと思います。しかし、私のグループのみ特別な経験をしたはずです。なんだと思われますか？そうです。車いすで公共交通機関を利用する。そしてそれに付き添って行動するという経験です。今は私の家の近くにも見かけるようになりましたが、当時はそこが初めて見たものでした。車いすマークのついたバスでした。最初乗車するときは、運転手さんに「車いすの友達が乗るので少し待ってください。」とお願いしたら運転手が、「このマークがついたバスは後方にあるスピーカーに向かって話してくれたらいいよ。ちょっと待ってねスロープ出すから」と言って出してくれました。初めてそれで乗車しました。そのバスの乗客の皆様は、私から分かる範囲では優しく対応してくださいました。たしか「予約は」などきつく言われたような気もします。しかし修学旅行中はフェリーの中以外は楽しい思い出です。周った場所は、銀閣寺、巨水寺、銀閣寺などを周れました。</p>



<p>　２つ目に印象に残っているのが、飛行機に乗ったことです。</p>



<p>初めて乗るということもありましたが、搭乗手続き後みんなより早く係の人が来て「先に別の場所から案内します。」と言われて、みんなより少し早く私と仲のいい友達（別のクラス）が動き出して、どこを通るのか興味津々でした。移動中係の人が、「修学旅行で飛行機使うのはすごい」としきりに言われていたことを思い出します。倉庫していると、関係者入り口のような所に着きました。そこで待ちました。するとその扉があき進んだ先に、制服姿の方が数人エレベーターを待ってありました。その方々より先に上がりました。そうです通ってきた場所は、職員通路でCAも使われていたようです。中学生の私にとってはCAさんに遭遇できたことはとても嬉しい出来事でした。</p>



<p>私が受けた授業などについて少し書きたいと思います。私達のころの流れか、私が行っていた学校だけかわかりませんが業者の作った問題や実力テストが全くありませんでした。定期テストは担当の先生が作る方法でした。</p>



<p>私は相も変わらず、成績は悪かったですが、得意なところもありました。数学は計算問題。後は公民ぐらいでした。理科は急激に落ちました。おそらくですが、小学校のように目で見れるところが少なくなったからではないかと思います。文書から数値を読み取るのが超苦手でしたので、さらに拍車がかかったのです。威張れたものではありませんね。今は小学校から始まりますが、私たちのころは中学からでした。英語です。これは私からすれば、地球に存在するのかというくらいちんぷんかんぷんでした。当然テストの点数も散々でした。ほかのテストは点数良くはないのですが、びりではなかったと思います。印象に残っているのは、期末の体育と公民、２年の時英語です。</p>



<p>体育は、期末のみペーパーテストがありますよね。それが期末の得点源でした。公民になると急にトップクラスの点数を取れたのです。なぜだろうと考えると、この２つに共通するのは実際に経験したり、聞いて覚えられるということだと思います。体育の場合は、スポーツを理解するためにルールを覚えたら、審判させてもらえたりして楽しいと思えたからだと思います。　公民は、テレビでニュースを見たりしていたので、教科書などを見なくても先生が授業で言われることが理解できたので点が取れたのだと思います。</p>



<p>今でも不思議なのが英語です。担当の先生が何かの事情でお休みされるため代わりの先生が来られて授業が始まるとなぜかはわかりませんが、得点が平均点は取れるようになりました。グループ学習形式で、勉強できる人、そうでない人、中間の人をバランスよく構成グループなのです。そのグループでできる友達が「どうしたの？急に点数良くなったね。カンニングした？」と大げさに驚く始末。３年になってまた先生が変？今度は急降下じゃん？」とまた驚いていました。その友達が「先生が違うだけでこんなに違うのか」と力説していました。</p>



<p>今思えばやはり、その人に会った勉強法と、周りの人の協力があって初めて成長するのではないかと思います。次のブログで私の経験したことを書いていきたいと思います。</p>



<p>ここまでお読みくださった皆様本当にありがとうございました。</p>
]]></content:encoded>
					
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		<title>中学校</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Feb 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[中学校]]></category>
		<category><![CDATA[中学生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
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					<description><![CDATA[&#160; 小学校を卒業してから中学高卒業までを書いていきたいと思います。小学校に比べたら嫌なことが多く印象に残っていることも少ないので、今回で中学校のことは書き終わるかもしれません。もうネタ切れ館満載ですがお付き合い [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>&nbsp;</p>



<p>小学校を卒業してから中学高卒業までを書いていきたいと思います。小学校に比べたら嫌なことが多く印象に残っていることも少ないので、今回で中学校のことは書き終わるかもしれません。もうネタ切れ館満載ですがお付き合いいただければ幸いです。</p>



<p>小学校卒業後、私と付き合いの深い友達が中学校に呼ばれて話を聞かれたそうです。やはり私のことで、どんな風に画工生活を送っていたか？トイレ、移動教室の時はどうしていたなどを話したそうです。私は、中学校生活は大丈夫かなという不安に思っていました。なぜなら、２つの小学校から来るからです。私が通っていた小学校出身は「、私のことを少しは知ってくれているから大丈夫だろう」と思っていました。その当時から、車いすで外出すると物珍しいものを見るような目で見られていたのです。しかも小さい子が興味本位で振り返ってまで見たとしても理解できるのですが、大人が振り返ってまで見るのには納得できませんでした。仮に「大丈夫だろうか、手助けをしようかな」という思いで見られるのなら、いいのですが道で会う大人はそうではありませんでした。なぜそう言えるのかというと、お子さん連れで、お子さんには見ないのと言わんばかりに手を引いて動き出したお子さんを見るのではなく親の目は私を見ていて、今度はお子さんに手を引かれて歩きながらでもまだ顔は、私の方に向いている状態でした。皆さんどう思われますか？やはり、私の考えすぎとおもわれますか？もしそうなら、自分の周りの人のいいところを見つけてほめる生活に少しずつでも変えてくださいお願いします。そうしなければ、皆さんの大切な方が私のようにマイナス思考になってしまいますよ。私はできない点をしつこく家で言われていたので「私ができることは誰でもできる。喜んではいけない」と自己肯定感ゼロどころかマイナスの人間ができます。繰り返しになりますが、皆さんはいいところを見つけながら生活してくださいお願いします。</p>



<p>　入学式５日前くらいだったと思いますが、担任という人が、家を訪ねて来られました。合った印象は「熱い人なのかな？年齢はもちろん違いますが、松岡修造のような感じに思えました。「どんな子か気になってしまって、待てなかったから来ました。安心学校に来てね。」と。それで少し安心できたのは事実です。その二日後に今度は、友達と一緒に職員室に呼ばれたのです。そこで話したことはおぼえていませんが、手すりの位置などを確認したりしたと思います。入学式の前日電話がありました。「明日入学式やな」と小学校の担任でした。その電話で最近あったことを話したらすかさず「お前何した入学前に呼び出しとか」とからかわれました。</p>



<p>　私の通った中学校は部活動に必ずはいるという学校でした。そこで私は、バスケット部を選びました。今考えれば、無謀だったと思いますが、当時は小学校での楽しいイメージがあったのです。しかし、それはすぐに消えました。そもそも１年は、体力づくりが主だったので、みんなが走っている間は私も歩行器などで歩いていました。そしてみんなが、ボールを使った練習に入っても私は変わらず歩く練習。こんな感じが続いていました。学年が上がっても私は、カヤの外かんがあったので行かなくなりました。授業で体育はするのに、部活はさぼる。そんなことが続いたある日顧問が「体育はするのに部活はしないのはおかしくないか？」と言われたので体育も見学をしばらくしていたら、「体育参加しなさい、部活は休んでいいから」と顧問でもあり、体育担当の先生から言われ参加するようになりました。この出来事だけでもすごいと思いませんンか？　一般的には見学している方が、けがもなく安心のはずがそれでよしとはせずに参加させるためにどうするかと考えてもらったのです。しかし、授業に参加するだけでは、満足していない人がいたのです。そうクラス担任です。クラスの中に５から６グループに分けて授業など受けていたので、私が入っているグループの友達が「なぜいかないのか」など色々聞かれたので正直に「僕は、いないものとして扱られている気がする。私だけユニフォームがない。」など言うと「気のせいでは？メンバーしかユニフォームないのでは？危ないからでは？」など言われるのでまた反論したら、「わかった。聞いてみる」と言って顧問にその中の一人が聞きに行ったのです。すると「あなたが言っていたことも一部は合ってるみたい。でも危ないからという理由もあるみたいよ。だから譲らないといけないところはあるよ。」と私に教えてくれたのです。さらに後押しをしたのが、クラスは違いましたが度々登城する友達です。「俺はお前もチームの一員と思っているから心配するな」と言われて部活に行くようになりました。この人物は最初はけぎらいしていたあの人です。部活に行くようになってからは、シュート練習のパス出しやゴールした以外の所でミニゲームに参加したり、審判をさせてもらったり、それ以前に感じていた疎外感はなくなりました。やはり、私がいないときの練習試合は全員に出たりしていたようです。後日連数に行くと「お前もくれば出れたかも」とか言われて少しは羨ましいと思いましたがそれはあえて私がいない時を狙ってあるのは気づいていました。部活で一番嬉しかったのは、地区大会までは、ベンチのそばで応援させてもらえたこと、練習のパス出しやアドバイスをくれと聞きに来てくれたり、私の言うことを聞いてくれたこと沢山ありますが、驚くことが２つありました。最後にそれを書きたいと思います。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-10" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-10">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">１つ目</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">２つ目</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">１つ目</span></h2>



<p>最後の大会が２か月先ぐらいに迫ったころだったと思います。いつものように、パス出しをしていると、顧問が私の所に来て「今度の大会少しでもコートに入れないか大会本部にお願いしてみる」と言ってくれたのです。これはすごいことです。最初は冷たい感じの先生が掛け合ってみるとまで言ってくれたのです。その気持ちが本当に嬉しかったのと人はここまで変われるのかと驚きました。ただ私が決めつけていただけかもしれません。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc2">２つ目</span></h2>



<p>これも最後の大会のことですが、この年はなぜか強かったので、楽に地区大会まで進みました。それもほとんどの試合２０点差以上付けて勝ち上がってきていました。この試合に勝てば県大会に進めるというとき、なぜか１０点差で負けて前半終了。私は勝てるという変な確信がありました。なので、前半の点差は後半で追いつけるし、いつもの感じでやったら逆にこの点差つけれる。」だから後半は、落ち着いていくのと、前半と違うことしていこうと一人でアドバイスしていました。何が良かったかわかりませんが、どんどん追いついていきました。そして最終的には逆転して県大会進めることになりました。この勢いで地区大会も優勝できました。</p>



<p>後日、学校で報告会見たいものがあり、その中で驚くことがありました。キャプテンが結果を報告して終わろうとした時でした。違う部活の顧問が「県大会の出場を決めた試合の監督が、前半と後半で別のチームみたいだった。車いすの子にやられた」と言っていたと聞いた時、応援だけでも評価されることがあるのだと驚きと同時に嬉しくなったことを今でも覚えています。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>小学校の思い出2</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 05 Feb 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[小学生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
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					<description><![CDATA[&#160; 今回は、テストのことなどごちゃまぜになりますが書きたいと思います。恥ずかしいですが全て書きたいと思います。 まずは、テストです。低学年の間は、業者が作っている問題でも授業を聞いていたらそれなりに点はとれてい [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>&nbsp;</p>



<p>今回は、テストのことなどごちゃまぜになりますが書きたいと思います。恥ずかしいですが全て書きたいと思います。</p>



<p>まずは、テストです。低学年の間は、業者が作っている問題でも授業を聞いていたらそれなりに点はとれていました。低学年のころ印象に残っているのは、３つです。皆さんから見ればずると思われることもありますが、それは、大目にみてください。よろしくお願いします。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-12" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-12">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">１つ目</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">２つ目</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">３つ目</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">１つ目</span></h2>



<p>「あなたは、テストの本文読んでないでしょ？これから先は点数を取るということは難しいと思うよ。」と言われたことです。これはのちに最悪の形で実現します。（涙）その時のテストは１問だけ間違ていました。テスト返却時に「この解答を書く前の解答だったら満点だったのに」と言われた後に先ほど書いたことも言われました。放課後母にも同じことを話していました。しかし、私の時はなかった話がありました。「全部覚えて怒れることはすごい。でもテストという中では中々評価されないと思います。」と話されていたと私は記憶しています。それを受けてのことだと思いますが、帰宅後「あんたは書くのが時間かかるから、書くより授業をしっかり聞きなさい。」と言われて私はへこんでいるのにさらに「あんた問題の文だけ読むのじゃなくて、本文も読みなさい。そうしないと点取れない。」と追い打ちをされました。少し話変わりますが皆様にお願いです。皆さんは、褒めるを７、注意を３にしてあげてください。根拠や信頼という点では全くない私ですがこれだけは断言します。そうしないと私のように超マイナス思考の自己肯定力ゼロの人間ができます。皆さんは楽しい毎日を送りたいですよね？それはやはり、相手を褒める量を増やすことです。ほめようと思って相手を見ると、せめて心が少なくなると、気持ちもおおらかになるのではないかと思います。マイナス思考の私が言っても共感していただける方はいないと思います。語弊がありますが、みなさんが、実験してみてください。悪くするなら皆さんは嫌でしょうが、よくする方なのでぜひやってみてください。ザ・他力本願です。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc2">２つ目</span></h2>



<p>低学年の時は、漢字を私としてはきっちり書いているつもりですが、すき間があった手はいけないのにそれがあるように見える。はねが不十分だったり、厳密に言えば得点にできないものも点数をいただいていました。先生たちは親に「しっかり止めやはねをしないと点数もらえませんよ。私たちは本人の状況とかわかっているから、対応できますが、知らない人なら間違いとするから正確に書いていないものは次から間違いにしますね。」みたいなことを言われたようです。今となっては、先生たちが言われことは理解できます。その当時、なぜそんなことを言われて急に間違いとされるのかわかりませんでした。</p>



<p>また話をずらしますが、文字を書いたり、読んだりするのが苦手だった私でも勉強することはありました。そんな時、漢字の書き方を聞くと書き順などはあまり教えてくれず、とりあえずその形のようにかければいいという感じでした。そんな環境で成長したので、急に間違いにされたのが本当に不思議でした。それより不思議だったのは、急に対応の変わった家族です。それ以降は「漢字は正確にか基準通りに書きなさい。」というだけ。色々聞いても教えてくれず。間違えたところは強く注意される。こんな環境に急に変わりました。また皆様にお願いです。最初に覚えたことを途中から変えるのはとっても難しいので最初から難しくても正しいことを根気よく教えてあげてください。そうしないと後で書く悲劇に遭います。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc3">３つ目</span></h2>



<p>宿題は一応していました。今思えば大目にかなり見てもらっていたかもしれません。高学年の時は、漢字２００字が宿題のうちの一つでした。それでずるをしていました。漢字は私が書いて、読み仮名を母に書いてもらっていたのです。先生は、それをわかったうえでのことだったのでしょうが、あと時から放課後漢字を書いて下校するようにしようと言われクラス全員がそうなりました。そうなった理由は、数人が宿題をしてこないから。というものでした。そこで改めて私は友達とは違うのだと実感するのです。速い人は、１５分で終わって下校する。そうでなくても３０分もすればみんないないのです。私が、終わるのは早くて５０分。かかるときは、１時間３０分ぐらいでした。同じ漢字は３回までというルールだったのですがそれを見て先生が「お前は１行同じ漢字をかいていい。」と配慮。一つ悲しい出来事が、漢字を選んでいたとき「お前の名前の漢字を練習すれば」と見本書いてくれたのです。私はショックでした。そのころ国語のテストで逆満点を取ったり、いやなことが続いていた上に自分では書けているつもりの名前を練習するからです。しかしここからが違います。「お前の名前の漢字は高学年で習う漢字。書き順通り書いて、まっすぐ書けたらかっこいいから」とフォローしてくれたのです。同じことを言うにしてもうちの両親とは大違いです。ですので、皆様も発言の仕方にはお気を付けください。</p>



<p>ここからは思い出です。６年のころの話です。</p>



<p>夏休みに担任の家に何人かで遊びに行くことになりました。教室で「遊びに来るやつは何人くらいか手を上げなさい。」と言われたのでおふざけで私も上げると、「よしみんなで私を一緒に連れておいで。水着も持っておいでね。プール行くから」と言われて行くことになりました。今も印象に残っているのはウォータースライダーです。先生が私を連れて上に行き、ほかの利用者が途切れたところをみはからい下にいる友達に「今からこいつが滑るから救い上げてやってな」と私だけ穴の中へ、無事したで救い上げてもらいました。最初で最後のいい経験でした。先生の家に移動している時に悪ふざけが始まりました。「先生は大丈夫かって止めたけど私が滑ると言ってきかなかった」と、ほとんど嘘なのです。実際は「今しか経験できんと思うよ。したでみんなが救いあげるから大丈夫。」と説得される感じです。切り返しになりますが、貴重な経験をさせてくれたみんなに本当に感謝です。</p>



<p>　貴重な経験をもう一つ書きたいと思います。卒業記念に日本一の石段を登ろう。保護者も含め希望者で行くということだったので、当然私は行くつもりはありませんでした。しかし、そのときは先生ではなく友達が「行くよね？来るだけでいいから。」と次から次に言われるのです。以前、私を嫌っていた友達まで。後から分かったことなのですが、先生は軽く言っただけで、友達が私を連れて行きたいと言ってくれたそうです。そんなこんなで、参加することになりました。石段の下でみんなを待っているものと思っていましたが、なんと上りは、友達と保護者の方が背負って連れて行ってくださいました。本当に感謝です。</p>



<p>先生は本当に茶目っ気がある人でした。最後の社会の授業の時の話です。振り返りも兼ねてクイズ形式でわかったら手を上げて先生がその中から指名して答える形でした。室町幕府で金閣議を立てたのは？という問題までは私も手御上げていました。銀閣寺を立てたのは？この問題は手を上げませんでした。しかし私が指名されたのです。その瞬間教室が笑いに包まれました。そうです字はt違いますが、読みは同じヨシマサだったからです。本当にメリハリの利いた先生でした。</p>



<p>　卒業式前日も急に家に来て「明日のリハーサルをするから顔を貸して」と言って連れていかれて本当にリハーサルをしました。卒業式当日は、ひとりひとり証書を受け取りに行く形式だったので私も受け取り行ったとき、校長先生が涙声で読まれるのです。それを聞いて「先生も定年だから？」と「私のことを気にかけていただいた」のだと思っていました。ちなみに担任だった先生は今校長先生をされています。何度も苦理解しますが、私を受け入れてくれた小学校には感謝です。合理的な配慮をいただいた事にも感謝申し上げます。こんな学校が増えてくれることを切に願います。</p>



<p>最後までお読みいただきありがとうございました。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>小学生の思い出</title>
		<link>https://zenmiyabi.net/39-2/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 03 Feb 2020 23:00:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[小学生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
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					<description><![CDATA[今回は小学校の思い出を書きたいとおもいます。 出生時の話に戻ります。生まれて、標準的には首が座ってもいいころになっても私は首が座らなかったようです。出生時の病院か別の病院からかはわかりませんが、専門的な施設を紹介されたよ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>今回は小学校の思い出を書きたいとおもいます。</p>



<p>出生時の話に戻ります。生まれて、標準的には首が座ってもいいころになっても私は首が座らなかったようです。出生時の病院か別の病院からかはわかりませんが、専門的な施設を紹介されたようです。そこで障がい認定１級を受けました。生まれて１年ほど経った時でした。そこは、施設と病院機能を併せ持つところで、都道府県も運営に関わる所でした。先ほど病院機能も併せ持つと書きました。病院機能について書きたいと思います。診療対象は、整形外科、小児科、歯科、リハビリテーションです。病院機能を担っていたのは、なんと私が生まれた大学病院の医学部の教授が責任者でした。施設機能は、基本18歳未満までとなっています。そのため18歳以上で入院するには治療必要があると認められたら可能です。</p>



<p>私はそこでリハビリや必要があれば治療（手術）をしたりしました。そこは、小学生以上は１人で入院するのですが私は入学前に治療することばかりだったので祖母と一緒に入院していました。祖母のおかげだと思いますが、看護師さんや先生には評判が良かったのです。小学生にはなってから、早退してリハビリに行ったり、していました。数か月に１度は診察があり嫌でした。「歩く練習せんといかんよ」とか注意されることが多かったからです。</p>



<p>この話をしたのは、だれでも買われるという話をしたいからです。５年生の時の話です。入院して手術することになりました。５月から８月いっぱいの予定だったのですが、その期間で行内キャンプが予定されていたので、私は残念なようなほっとしたような複雑でした。勉強は、病院に分校があったので転向扱いになりました。分校での話はまた別の部路にしたいと思います。私の受けた治療は、なるべく本人の筋力を保つことを目的にして治療でした。そのためなのか、余計な力が入っている筋肉を少し切るというものなので術後2週間でギブスを外してあとはリハビリするという流れでした。ギブスが外れてリハビリに入れば、土日は外泊可能だったので、ほとんど外泊していました。</p>



<p>　家に居るときに電話が鳴りました。出てみると「元気？」とか聞かれて「誰だろうと」思って聞いたら、「担任の声忘れた？もういい知らん。」と、ちゃかす先生でした。そのあとも何度か連絡をくれました。</p>



<p>あと１か月くらいで退院予定の日が来るというとき、看護師さんが男性を連れて分校の廊下を私の方に歩いてくるのです。そして私の名前を呼ぶのです。私は視力が悪いので、近くに来られてよく確認しました。すると校長先生でした。しかも手には袋があってその中にはチョコレートが沢山入っていました。驚いて先生に聞くと「妹さんに聞いた。もし食べきれなかったらみんなで食べて」と言われて先生と少し話しました。その中で「しっかり、頑張ってリハビリとかして戻っておいでね。みんな待っているよ。戻ってきたら校内キャンプもあるからね。」え？たしか私が、入院中に終わっているはずでは？と思っていました。その日、看護師さん「遠く離れたところに、担任の先生が来るのだけでも珍しいのに。一人の児童のために校長先生がお菓子を持ってお見舞いに来るなんてすごい。親戚とかじゃないよね？」と私に聞いてこられました。今となってはすごい事と分かります。私が２年生の時に赴任された先生でした。これは偏見かもしれませんが、車いすだというだけで、事なかれ主義の人ばっかりではないかと思っていたので。本当に私を受け入れてくれた小学校はすごいと思います。</p>



<p>退院後、本当に校長先生が言われていたように校内キャンプがありました。私も参加しました。のちに分かったことなのですが、学年の先生たちに了承を取るのも大変だったと思いますが、それを校長先生話すのは更に大変だったと思います。しかもその年はグランドの工事が予定されていたにも関わらず予定を変えてくれた先生方はすごいの一言です。またそれを私に説明するのがひとひねり、「お前がいない間にやっていたら枕元に恨み節で立たれるのがいや」そもそも私立てませんよ。友達も変更を受け入れてくれてありがとうの一言です。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-14" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-14">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">６年生</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">パス練習</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">体力づくり</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">シュート練習</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">６年生</span></h2>



<p>私たちのクラスは掃除当番とかに職員室や校長室なども入ってきました。それらの場所も私がグループの中もと一緒に掃除しました。掃除の時は床にじかに座って雑巾がけをやっていました。これも校長室での話です。冬も雑巾がけをしていたら、「冷たいでしょう」と言ってあるものを入れてくれる校長先生でした。そうです。バケツの水に、過失のためにストーブにかけてあるお湯です。</p>



<p>クラブ活動もバスケットボールクラブに入りました。担当の先生が、担任の先生だったので「先生が、６年生の時も担任だったら入っていいですか？」これまた意外な答え「別に誰が担当でも入ればいい」と私自身も断られると思っていたので本当の驚きでした。担任が変わらなかったので、本当にクラブを選択しました。実は担任がバスケットボール関係ではすごい方でした。九州の審判部長をされていたのです。今考えたら、数日休みを取られていたのを思い出しました。その時は他県で行われる試合の審判をされていたようです。先生が学校に来られた時、さとうきびをお土産もらってかじったことを思い出しました。クラブ活動はバスケットの基礎練習にも参加させてもらいました。パス練習、体力づくり、シュート練習、ゲーム形式、すべて参加させてもらいました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">パス練習</span></h3>



<p>バウンドパスこれは比較的私でも取りやすいパスなのでこのパスの練習になるとほっとしていました。なぜなら１０回連続キャッチできるまでとか、私も例外なく課題が課されるからです。もちろん、キャッチできなければ。次に進めないということはお分かりだと思いますが、相手をしてくれている友達も足止めなのです。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc3">体力づくり</span></h3>



<p>みんなは片足とびとかで、コートの中を移動している時に、私は自力で漕いで何秒以内にコートのある所までいくとか私用のメニューまで考えてもらって参加させてもらいました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc4">シュート練習</span></h3>



<p>小学生のリングの高さは一般よりは低いとはいえ私には届きません。でも届くように練習した結果、１０回に２回は増したぐらいからですが届くようになりました。しかし試合形式では使えません。そこでどうしたらいいか先生に相談したら「どうしたいいかな」と先生も悩んでくれました。そんな時、校長先生が一言「リンガの代わりにここにゴミ箱をはめ込んだら」と。担当の先生も「それはいい。そうすればおまえも得点決められるな」とその一言で特別ルールが始まりました。そこ路から試合形式の連数の時も自分で漕いで動く様になっていました。動きが激しい時などは審判をさせてもらうこともありました。担当の先生が有名だったのもあるのか練習試合もよく組まれていました。私は応援とかタイムキーパーをやっていました。</p>



<p>クラブ活動でする最後の練習試合、私はいつも通り応援をしていたら「最後の２分お前出す。相手チームと監督にも特別ルールをOKもらったから。」と最後に試合に出してくれた、先生や相手チームに感謝です。本当に頑張ったらいいことあると思った瞬間でした。</p>



<p>もう一つ印象的ことがあるので次回のブログで書きたいと思います。</p>



<p>ぜひまたお読みいただければ幸いです・</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>運動会</title>
		<link>https://zenmiyabi.net/%e9%81%8b%e5%8b%95%e4%bc%9a/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 Jan 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[小学生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
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					<description><![CDATA[私たちの時は、朝から夕方まである感じでした。プログラムも四十何番までありました。この話は、5、6年生合わせて書きたいと思います。障がいを持った子を参加させる運動会はどんなものだと思われますか？見学が多く、参加するにしても [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>私たちの時は、朝から夕方まである感じでした。プログラムも四十何番までありました。この話は、5、6年生合わせて書きたいと思います。障がいを持った子を参加させる運動会はどんなものだと思われますか？見学が多く、参加するにしても、プログラムの案内をしたりする。又は、本部テントにいると思われる方が多いのではないかと思います。前回も書きましたが、私を受け入れた小学校は本当にすごいです。凄さをつたない私の文章力で伝えられるかわかりませんが、おこしくださった皆様今回もよろしくお願いします。</p>



<p>運動会は、入場行進から始まりますよね？それも、もちろん参加です。しかも車いすを友達に押してもらっていく感じです。「私は進行しているのだからちゃんと手を振りなさい。」と言われていたので必死に振っていたと思います。今考えるとこれもリハビリを兼ねていたような気がします。当時は「筋力強化や可動域を広げるために動きなさい」とお世話になっていた理学療法士さんからいわれていたのでそれを取り入れてくれたのだと思います。ラジオ体操も同様です。運動会最中は、本部でテントではなくみんなと同じテントに居ました。私の学年が出る競技が来ました。色々あったと思いますが、おぼろげながら覚えていたり、印象的なものだけ書きますね。</p>



<p>綱引き、かけっこ、学年で披露する踊り、騎馬戦、組み体操です。文字数稼ぎにまたお付き合いください。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-16" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-16">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">かけっこ</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">綱引き</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">学年で披露する踊り</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">組み体操</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">騎馬戦</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">かけっこ</span></h2>



<p>5年生の時は、グランド半周、6年生は、１周でした。当時の私は、松葉杖とくるまいすをつかっていました。ここで、こう書いたということは勘のいい方ならおわかりでしょう。そうです。杖でその距離を進んだのです。もちろん運動会の　何週間前から友達や先生に付き合ってもらって練習しました。その時に、先生や友達がタイムを計測してくれました。「短縮できたよ。」と言ってくれる先生や友達の言葉を聞いてうれしいと思って練習するばかりでした。時々先生が会議でいないときがありました。後から分かったことですが、その会議は運動会についてだったのです。全体のこともあったでしょうが、やはり私の事だったそうです。その会議は私をかけっこに出すべきかなどで議論になったようです。そこで担任は「見学」ではなく、出すことを強く訴えてくれたそうです。次は、距離や時間、方法の議論になったそうです。時間については７分ぐらいでした。［その時間みんなやお客さんをまたせていいのか］という意見がでたのでしょう。その対処は、友達に会議の中で私を運動会に参加させるか、見学させるかなども含め意見を聞いたのです。そこで最後の議論は、方法でした。「松葉づえより車いすのほうが安全で速いのでは」とまたそのとき、担任が「本人がやると言ってますし、友達も協力して練習したら時間も少しずつみじかくなっているから」と説得してくれたそうです。</p>



<p>そのおかげもあって当日は、杖でみんなと同じ距離を歩くことが出来ました。そのときは、６分を少し切る時間で歩けました。先生が「今日が一番速いやないか、練習の時、力を抜いたな」とからかわれるだけ。裏も事は一切言わず。</p>



<p>まさに本人がしたいということと安全に配慮したうえで最大限実現させてくれる。本当の意味での合理的配慮だと書いてる今はつくづく思います。本当に感謝です。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc2">綱引き</span></h2>



<p>グランドの中央に綱がよういしてあって、ピストルの音を合図に駆け出し綱を引き始める競技でした。５年生の時は、先生に車いすを押してもらい参加しました。そのとこも配慮があったのです。ピストルの音と同時に押してもらって綱の方へ途中で「自分で漕いでみようと」綱の近くから綱まで漕ぐことにその間先生は綱引きに。競技が続いていれば、綱を握らせてくれ輪状化を味あわせてくれたのです。６年の時は、さすがに参加は難しいだろうと思っていました。競技の勢いが５年生の時とは全然違っていたので。しかし先生方がまた配慮くださったのです。確か、昨年はピストルの合図は朝礼台の所だったのが、綱の中央が見えるグランド内のはじに変更されたのです。そして、合図するのは私でした。終わりの合図は、審判の先生がした合図を近くにいる先生が教えてくれ鳴らすという感じでした。私が在籍していたときは、私ほど重くわないと思いますが、事情で競技に参加できない友達もいたので、交互にその役割をしていました。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc3">学年で披露する踊り</span></h2>



<p>先生から車いすを押してもらって参加しました。「できる振り付けを頑張ってすればいい」と言われて頑張りました。ここでも先生凄いと今だから言えます。私が、ふざけたり、手を抜いた時はすかさず叱られましたしみんなと同じようにゲンコツをもらうこともありました。こんなところでも変な配慮せず、同等に見てくれていた先生方は本当にすごい先生方と本当に思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc4">組み体操</span></h2>



<p>扇、飛行機、電柱、サボテン、ピラミッドだったような気がします。扇は真ん中が私で、両サイドの友達の手を握る形ならできるかなと思っていました。残りは、見学だろうと思っていました。またここで担任が「ピラミッド以外はお前も参加だからな。ピラミッドも隣で土台の姿勢はするんだからな」と、私も参加することになりました。ここで問題が、私の担任をしてくれた先生は、１８０センチを超える長身。私は高所恐怖症だと思います。さらに姿勢を保つのが難しい私には恐怖の形が２つありました。電柱とサボテンでした。先生も支えるのが大変だったでしょうが、「なんでも経験」と参加させてくれました。そのときは恐怖心で、嫌だなと思っていましたが、今となっては経験させてくれたことに感謝です。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc5">騎馬戦</span></h2>



<p>さすがにこれは見学だろうと思っていたら、ここでも先生方が。旗持ちという役割をさせてくれたのです。相手の旗持ちは、綱引きの時に書いた事情で参加できない友達でした。先生は「旗持ちも大事な役割だからね。もし倒したら負けにするからね。」とモチベーションを上げる配慮。相手は冷めた反応でした。自分でいうのもへんですが、私は影響されやすい性格なので、ひとり「倒さないように持たなくとは」とかひとり緊張していました。６年生の時も旗持ちだろうと思っていました。しかし、その考えが甘かったのです。先生が体格のいい友達を集めて何か話している。「何だろう」と思っていると、その友達と先生が私の所に来ました。そこで騎馬の形を作りました。次に先生は「お前が大将の騎馬に乗って入場門から所定の位置まで移動してそこで降りて旗持ちな」と伝えられたのです。組体操の所でかきましたが、高所恐怖症で姿勢を保つのが難しい私です。多分先生方は挑戦する大切さを教えようとしてくれたのでしょう。騎馬になってくれた友達が「絶対落とさないから、出来るだけまっすぐ堂々としな。男やろ。」この言葉を言ってくれた友達はなんと「障がい者は養護学校に行け。」といった友達です。これも繰り返しになりますが、人は変れます。これが実例です。私を受け入れてくれた小学校は校長先生をはじめすごい先生達ばかりだったのだと改めて思います。校長先生のエピソードもまたブログで書きたいと思います。またよろしくお願いします。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>小学校授業</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 29 Jan 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[小学生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
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					<description><![CDATA[いきなり続きを書きたいと思います。 目次 家庭科図工道徳体育ポートボール器械体操水泳 家庭科 エプロンを作るという課題の時も型紙にあわせて切るのもなかなかうまくいきませんでしたが、なるべく自分でしなさいと挑戦させてもらい [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>いきなり続きを書きたいと思います。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-18" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-18">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">家庭科</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">図工</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">道徳</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">体育</a><ol><li><a href="#toc5" tabindex="0">ポートボール</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">器械体操</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">水泳</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">家庭科</span></h2>



<p>エプロンを作るという課題の時も型紙にあわせて切るのもなかなかうまくいきませんでしたが、なるべく自分でしなさいと挑戦させてもらいました、針も使わせてくれました。ですので、針で指で刺す経験もたくさんしました</p>



<p>調理実習にも参加させてもらって、ゆで卵や果物の皮むきも経験させてもらいました。もちろん、包丁でと言いたいところですがピイラーでした。包丁も握り方とかは教えてもらい少し使わせてもらいました。（手を添えてもらってでしたが）そこでまだ早いと思われたのでそれだったのだと思います。皆さんすごいと思いませんか？</p>



<p>30年近く前ですよ。私を受け入れてくれた小学校は本当に今考えるとすごいです。その当時の世の中は、障がいがあれば、隔離してしまって別世界の人間のように扱われていたというのが私のイメージです。もし違うようでしたらすみません。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc2">図工</span></h2>



<p>印象に残っているのは版画です。確か4年生までは紙で形を作って済を塗って画用紙に押す紙版画だったと思います。この学年からは、デザインを決めたら、紙で作るのではなくトレーシングペーパーに写した後、木に写して彫刻刀で彫る方式に変わったと思います。そのときも「気を付けて使いなさい。」と言われるくらいでした。私がわかる範囲では。今思えばですが、見回りの時に声をかけてもらうことが、多く、さらに作業が早く終わった友達が「大丈夫？」とよく声をかけに来てくれていたなと思います。先生が私に築かれないように、友達を近くにいるように配慮してくれていたのだと思います。こんな感じで挑戦と配慮が絶妙な先生でした。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc3">道徳</span></h2>



<p>「一杯のかけそば」や「笠地蔵」などの話やクラスメイトの中には、生まれてすぐ手術をしなくてはいけなかったらしくお腹に傷跡があることの話やじぶんたちが、存在するためにはどいう過程かなどもしておくべきとそのような授業もあったと思います。何度も同じことをかきますが、現在でもタブのように扱われていることの話題を、道徳のなで取り上げるのは本当にすごいと思います。道徳の中で、「私は」王様なのか？というド直球のテーマもありました。その中で先生が「自分の分かる範囲で今までのことを話しなさい。」とみんなの前で話なさい。」と言われたので、その当時、分かっていた。8か月で仮死状態で生まれてきたこと。小さいころから歩けなかったこと。手術したことなどを話しまいた。そのあとは。みんなが私に対して思うことを言いました。細かいことは思い出せませんが、「積極性がもっとあるといい」,[自分でできることを頼むことがある]とかだったと思います。少しはプラスなことも言われた気もします。でも覚えていません。このことでお判りでしょう。根っからのマイナス思考であるということが・・・。これをどうにかしないといけないとはわかっているのですが、どうしていいのかわからなかったので、苦手な文書作成や継続を出来たらいい方向に変わるかもと思って安易に始めました。</p>



<p>話を戻しますね。ある程度意見が出て先生が、「確かにお前は消極的で頼りやすい人に頼る傾向はある。今からお前も色々殻を破る必要はある。今からの話はみんなにも関係するからね。」と前置きをして話してくれたものが「チャンスの神様」の話です。皆さんご存知ですか？ご存知の方も文字数稼ぎで書かせて下ださい。正確性に欠けたらすみません。</p>



<p>「チャンスの神様がいて、その特徴が、ものすごく動きが素早くて髪の毛が、前髪しかない。だから迷わず神様の髪の毛をつかんだ人がチャンスをものにできる。後からつかみに行こうとしてもつかめない。神様はいつ現れるかわからない。神様をつかめるのは早いもの勝ち。」という橋をされました。そのあとみんなで考えて発表。どんな意味があるか。</p>



<p>先生が「何事も積極性が大切」ということを念押しされました。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc4">体育</span></h2>



<p>みんなと一緒に参加していました。体育にも色々ありますよね？印象深いいのが、ソフトボール、ポートボール、器械体操、水泳です。体育ではありませんが、運動会も印象深いので、話していきたいと思います。</p>



<p>まず、ソフトボール</p>



<p>今思うと、友達も怖かったかもしれませんが、ピッチャーで投げさせてもらったりしました。そのとき「あったたらどうするの？」と先生が、「当てないように打て。」というときもあれば、また違う日は私に飛んできたら取れよ。」言ったりしていました。今も動くものを取るのはほとんどうまくいきません。そのときは、4，5歳で近くでボール投げてもらってもたかなか取れないのをドラマとかで見ますよね？そのレベルでも参加させてくれていました。本当に感謝です。さすがに「毎回そんなだとみんなが思いっきりできないでしょう？」と思う方もいますよね？確かにそうです。しかし、ここで凄いのが、「今日は審判ね」と見学ではなく輪の中に入れてもらっていました。テストの時はさらに特別ルールのようなものまで作ってもらっていました。もちろん本物のテストはしたうえで私が楽しめるように考えてもらっていたのだと思います。次のようなルールだったと思います。私が10宮中何球バットに当てられるかを競うのです。普段とは真逆ですよね。こうやって工夫をしてくださっていたのです。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc5">ポートボール</span></h3>



<p>スピードのあるものはどうやって参加したと思います？車いすを友達に押してもらって参加するのです。ボールは大木とはいえ、キャッチ能力は先ほど書いた通りです。ですから基本、近くで渡してもらう感じです。さらにここで特別ルールです。私がボールを持ったら、友達が押して二歩進んでいいパスコースの邪魔はいいけど、車いすに触れたらだめというものです。ここでも独自のルールを作ってもらって参加しました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc6">器械体操</span></h3>



<p>鉄棒の時は、回る感覚を経験させてもらいました。マット運動でも側転の感覚を経験させてもらったり、跳び箱の感じも踏み台や箱の上に載せてもらったりして様々なものを経験させてもらいました。組体操にも参加させてもらいました。これは運動会のとこで書きますね。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc7">水泳</span></h3>



<p>みんなと一緒にプールにはいりました。そこで、みんなが25メートル泳ぐ練習している間プールサイドにつかまって」水中歩行練習したりしていました。もちろん浮き輪付き。今日も歩行訓練かと持っていたら、先生が、浮き輪を外して「お前も泳ぐぞと言って、手を引っ張って、泳ぐ練習もあったり、プールの中でも配慮してもらいました。でも先生方はまだすごかったです。お腹を手で支えるから、あとは自分で手や足を動かしてどれぐらい進めるかやってみようと、本当に泳ぐ感覚を経験させてもらいました。さらに水中だったら、浮力が効いて歩きやすいかもしれないから、歩いてみようといわれてつかまるところないところで、まずは立つだけ。しかし、すぐに水の中に、そうなったら先生から起こしてもらうの繰り返しをしていく中で、10秒ぐらい立てる様になって1，2歩なら足が出せるようになりました。みんながテストの時に、私のテストはお腹を支えてどのぐらい泳げるかと、どのぐらい水中で立った姿勢で入れるかのテストになりました。。</p>



<p>これぞ合理的配慮というのではないでしょうか？いきなりすみません。のちにブログに書きたいです。</p>



<p>毎回の事ですが、ここまでお読み美忠樹ありがとうございます。また次回も是非お読みいただければ幸いです。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>ポジティブになれ</title>
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		<dc:creator><![CDATA[yoshimasa]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 27 Jan 2020 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[小学生]]></category>
		<category><![CDATA[挑戦]]></category>
		<category><![CDATA[障がい]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>ポジティブ</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>記憶はあいまいなので、想像もありますがお読みいただいている皆様には感謝申し上げます。学生時代は、勉強できない代表です。繰り返しになりますが、私がブログを始めたのは1円稼げるかな？ネットで色々調べたら「ブログ1記事あたり３０００字以上書かないといけない。文章力も必要。継続すること。１００記事以上。などたくさん書いてありました。皆さんのご想像通り全て私には難しいものです。でも挑戦してみようと、３日ほど前から始めました。まだ２記事しか書いていませんが、相当時間がかかりました。１記事６時間くらいかかりました。「そんなにかかってこの文章力」と言わないでください。タイピングもかなり、遅いのもあります。でもこんな私が１円稼げたら凄くないですか？それも他力本願と言われたらそうかもしれません。ブログを見ていただいた方のちからですから、閲覧者が多くないと、収益の土俵にすら乗れないからです。この文章も文字数稼ぎ書いています。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-19" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-19">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">「できる」の続き書きますね。</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">３年生</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">4年生</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">5年生</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">「できる」の続き書きますね。</span></h2>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">３年生</span></h3>



<p>私に付き添いをしてくれていた先生が担任になってくれました。２年背の時は、週に2日が母の送り迎えだったのです。少しずつその日が増えてきて、養護教諭（保健室の先生）がついてくる日などもあるようになりました。今思えばですが、私の人見知りやうまく溶け込めていないと先生方と母が話したりして配慮してもらったのではないかと思います。（母は授業中は、保健室で待機するようになっていたので）このころからは体育の授業も母なしで参加するようになりました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc3">4年生</span></h3>



<p>トイレとかも友達に連れて行ってもらったり、するようになりました。このころからが皆さんが普通に送る学校生活に近くなりました。私の行っていた学校では4年生からクラブ活動が週1回授業でありました。私は、将棋クラブにしました。顧問が担任、場所が私の教室。これも配慮だったのだと思います。こう書いていると今更ですが、相当配慮していただいていたのだろうと改めて感謝します。ちなみに担任をしてくれた先生達とは年賀状のやり取りをしています。</p>



<p>人の意識がいい方向に変わった例が次の5年生で出てきます。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc4">5年生</span></h2>



<p>クラスがあって新しい先生が担任になりました。ちなみに、先生はその小学校に5年ぐらいいた先生でした。年齢は28歳ぐらいのスポーツマンでした。この先生がまたすごい先生でした。これもい生でかかわっていただいた先生と母や祖母のおかげだと思います。</p>



<p>2学期が始まってすぐ席替えがありました。そこである友達と一緒になりました。最初は冷たい感じでそっけなかったのですが、取れないものを取ってもらったり、話しかけてくれたことに答えていました。緊張しなくても足に力が入って良く机に足をぶつけたり、聞き取りにくいかもしれないが話していました。そうこうしていたら、いつの間にか冷たい感じも消えて逆にからかわれるほどです。</p>



<p>それまでの雰囲気「あまり近づくな。なんでここにいる」みたいな感じだったので、基本いないものとして扱われていた。文章の初めで書いたように、席替えのあと雰囲気「どうした？｝と声をかけてくれたり180度変わったのです。のちにその友達が、言っていたことなので本心だと思います。それがこちらです。「障がいがあるやつが、何でここにおるん。そんな奴のために養護学校があるのだからそっちに行けよ。車いすとか邪魔。」と仲のいい友達と話していたそうです。話をしていた友達は「そこまでいわなくても」と思っていたそうです。担任も私を意図的に避けているのはわかっていたようであえて近くの席にしたそうです。話があべこべになりますが、本人と担任が話していたのをさきに書いてしまいます。これは30歳の時にあった同窓会での話です。「小学生のころお前のこと嫌いだった」やっぱりと思って話を聞いていったら先生も加わり、話が膨らみました。友達が先生に「わざとこいつと近い席にしたでしょう嫌っているのを知っていて。」先生「うん、ここまでお前が変わるとは思わなかった。」先生は続けます。「お前が」世話をするまでなるとは思わなかった。それどころか、お前は体育の帰りとわざと遅く一緒に戻ってきたやろう？なんでそこまで変わった？」友達「バレてました（笑）　障がい者は知能的に低いし理解もできないと思っていたけど。こいつ（私）は動作が遅いとかはあるけど、話は理解するし、笑うし話す。ただ歩けない、姿勢が悪いとか見た目だけであとは普通じゃん」と思ったら避けるのが、馬鹿らしくなってやめたそうです。今度は友人が先生に「校長とよくケンカしていましたよね？こいつ（私）の事ですか？」と聞いたら「体育の授業の事はそうやけど、ほかの事でも色々あった。」と話していたのを言聴いて、そこでも心の中で感謝していました。</p>



<p>話を戻しますが、5年生になると母は完全に送り迎えだけになっていました。授業もみんなと一緒に受けていました。移動教室も友達に車いすを抱えてもらう形で移動していました。（4年生の終わりからだったかも。）</p>



<p>国語の授業では、音読もすることがありました。文字を目で追うことも苦手だったうえに、さらに人前で話すのも苦手だったので相当時間がかかりました。算数では、黒板に解答を書くこともありました。理科では、実験の時など、アルコールランプに火を付ける経験やその補充をさせてもらったりしました。余談ですが、小学校の科目の中で唯一みんなと競える教科でした。多分読んで覚えることが少なく、実際に目で見れることが多かったからではないかと思います。</p>



<p>社会で印象が強いのは社会科見学です。今まですべての社会科見学に参加はもちろんさせてもらっていました。先生がおんぶして建物の中を見せてくれたので印象により強く残っています。その日は吉野ケ里遺跡での見学でした。ガイドの方から説明を受けながら周る方式でした。私も友達に押してもらいながら一緒に周っていました。そのとき「先生なんで僕らはあの建物に行かないの？」という友達の声が聞こえました。先生がガイド方と話して私たちも行くことになったのです。その建物の中を見れるようになっていましたが、私は無理だから下にいるものと思っていました。高床式倉庫を再現した建物だったからです。しかし、先生は「行くぞ！お前もみたいやろ？」といったのです。「でも」もじもじしていた私に「いいから行くぞ！」と上まで連れて行ってくれました。車いすは下に置いたままで。これは想像なのですが、ガイドの方に上まで車いすを上げていいかなど聞いていたのではないかと思います。おんぶで上がるのなら問題ないと言われたのでそうしてくださったのではないかと思います。私にとっては、とてもうれしいい出来事でした。なぜなら、そのころからすでに家では、買い物には連れて行ってもらえずほしいものは頼む形になっていたからです。［買い物の連れて行って］と頼むと、祖母などが「大変だから家に居なさい。」と言われていたのでなおさら嬉しかったのです。</p>



<p>後日先生が教室で、「ガイドの方は車いすの子がいたから外した方がいいかと思って」と言われたと聞きました。そのあと衝撃の事実が「それと建物の入り口前までしかダメだったみたい。本当はだめなのですがこのグループだけ大目にみます。みんな楽しそうなので」とも言われたそうです。そういうと先生は茶目っ気たっぷりに「お前たちがはしゃぎすぎて中まで入るから」と、「いやいや先生が中も行こうと言ったでしょ？」誰かがツッコミを入れると笑いに包まれました。</p>



<p>続きは次回。</p>



<p>ここまでお読みいただいてありがとうございました。感謝申し上げます。</p>
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