「好き嫌いは変わらない」大人になってから大事なのは見栄ではない

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「子どもには強く立派になってほしいからくじけない心を作るために厳しくする。」これも一理ある。しかしその思い育てるには、親が厳しくするならそれと同等かそれ以上に自分に厳しくないといけないと思うのです。そうしなければ私のような失敗作が出来上がります。マイナス思考の塊で世帯主には尊敬の気持ちがない。人間になるのです。ただこの家のすべての人を尊敬していないわけではありません。私を避けていた人でもです私から見たら祖父に当たる人物です。記憶は曖昧なのですが、妹には笑顔で接していたのですが、私には冷たい印象しか残っていません。

世帯主と現ではなぜ前世帯主の違いは?大きく2つです

  • 家族のことを馬鹿にしない
  • 事実のことしか言わないこれだけのことです

これから書くことは 見本 という記事と重なる部分もありますが文章力が向上しているか判定してもらう材料にしていただければ嬉しいです。

 

毒親なら最悪

昔もいた。今はテレビやインタネットのおかげで明るみに出ているだけ?なぜそう言えるのか。30年ほど前に私自身が経験したのである。低学年のころ現世帯主と留守番することがあったのです。よほど行きたいところがあったのでしょう。「お前は一人で留守番しろ」と言い出したのです。「泥棒が来るかもしれないから誰か帰ってきてからにして」と言っても「アホ」ぐらいで受け流して待ってくれるといいのですが、烈火のごとく「知らんバカ」取って出かけて行ったのです。それを追いかけて行っても無視して走り去りました。幸いにも1分たったくらいで破邪が戻ってきてくれたので家に入りました。

母が「なぜ出かけたのか」問いただしたら「お前も来るか聞いたら今家に居る」と言った反論したのです。そうです大ウソをついたのです。珍しく母が「外にいたけど」と問い返すと、はぐらかすのです・

厳しくする一環だとしても、事情説明に大ウソ言ったり、はぐらかす必要はありません。自分に気にしい人は絶対にしませんよね?自分さえよければと利己主義者の典型だと私はおもいます。

子どもと同じ目線

すぐ下の妹が「私の分は?」とよく言い合いになっていたのです。しかし、逆の立場だと逃げるのです。どこかに全く同じ考えの人いませんか?います世帯主です。

まだ子供同士ならお菓子とか小さいものであらそいます。だからまだあるある話で微笑ましい部分があります。しかし大人が本気で言うと単なる毒親です。 ある時、1品多いのです、世帯主だけなぜ「働いているから」と優越感にひたり、これ見よがしに分けるのです。しかしその生活費の中には前世帯主からの援助も相当あったもであたかも自分だけの稼ぎのように装うのです。

最大の出来事

前世帯主の援助で蜜を吸い続けたにも関わらず、加齢に伴い耳が遠くなるとなど様々な症状が出ると手のひらをぁえしたのです。「音量が大きすぎる耳がどうかなる。」これぐらいならあるあるでしょうがさらにエスカレートご飯を先に告いだらもう食べないなど今でいえば虐待と言えるような出来事が行われていました。このような人間があえて厳しくしているのだといったとしても信用できますか?私は信用しないほうが良いほうに行けると思います。

ステージに立てず負け惜しみ

しかし私はこのような人間レベルの低い人に負けているのです。なぜなら家庭をもつというスタートラインに立つ最低条件すら満たしていないのです。

自分ならこうするという証明が出来ないということは、相手も否定できないのです。ここで否定してしまえば、世帯主と同じ人間になるのでそれだけは避けたいのです。私でバトンは途切れますが仕方ありません。このような感は必要ないから途切れさせようと何かの影響ですかね?

お願い

  • 決して利己主義へむきすぎないで。
  • 身近な人への批判的発言は細心の注意を!
  • 一貫性の取れる行動を
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ゼロからの挑戦