人は変化できる素直さを持ち見栄を捨てれば!高学年での出来事

審査前の記事

様々な人の協力や配慮のおかげ無事学年を進めることができました。このころには、学校以外でも遊びに来る友人もできていました。今思えば、家に遊びに来てくれる友達は私と遊んでくれる人は少なかた。ゲームと遊ぶために来ていたのです。これがさらに私を追い込んでいく悪魔の種に影響したのでした。

事件です2度目のクラス替えで

「今回も○○君と一緒だろうし、担任も今までの先生が持ち上がりだ」と思っていたのです。しかしどちらも違いました。○○君もびっくりしていましたが、私も同様でした。担任も面識が少ない先生でした。不安でたまりません。しかしそこでも絶妙な配慮をしてもらっていたのです。○○君の次に仲良くしてくれていた人たちを同じクラスしてくれていたのです。そのおかげもあり、不安は徐々に消えていきました。先生に話しかけるのは最後まで苦手でした。」さすがに初めのころのようにガチガチではありませんけどね。これも育った環境の影響が多きことを強く訴えます。

今までと違う雰囲気

一番変わったのが、親の付き添いが完全になくなって送迎のみになりました。当然ですが、トイレや移動教室、体育の着替えなどすべてが友人と自分でやるしかなくなったのです。学年が上がって、すぐは体育の時間だけ別の先生がついてくれていました。完全に外れるまで3か月。

担任の策略(冒険)のおかげで悪友?誕生

学校でドキドキするイベントの1つは席替え。一番避けてほしい友人と同じグループに。のちの悪友です。のちに分かったことです。当時は「車いすで座る姿勢が保てない。こんな奴が行くために養護学校があるのだろう。なんでわざわざ普通学校に来て、人に迷惑をかけるのか意味が分からん。」と思っていたとの事でした。聞いた時は納得した。実は、中学年のころから同じクラスだったのですが、離れたところから一番冷たい視線で見ていたのか。聞きました。「でもどうしてそれがからかうまでなったの」と聞くと、「同じグループになって話してみたり、動作を見ていたりしたら、時間がかかったり、歩けないだけで後は普通じゃないかと素直に思えたから話しかけてみたらそうなった。」と答えたのです。人は素直でいてくれたら変われるということなのだ。「嬉しいな」と思っていたら、先生が会話に入ってきました。「お前がそこまでなかよくなって体育の時間とかわざと着替えに時間かけてさぼるとは思わんかったな」と笑みを浮かべていました。すかさず「わざとこいつと同じグループにしたでしょ?嫌っているの知っていて?」と聞くと、笑いながら「バレた」。先生も冒険だったのかと驚きました。でもいいほうに変わってくれてありがとう。

クラブ活動で挑戦

クラブ活動は毎年希望を取って選ぶのです。4年と5年では将棋クラブを選択。しかし最終学年では、バスケットボールクラブを選択した。バスケットを見ていたら楽しそうと思ったから、担任に相談したら「いいと思うよ。ただみんなと同じことはできないかもしれないよ?」と少し困惑されながらも否定はされなかった。なぜ相談したのか?クラブの担当だったからです。これも先ほどの友人と先生の会話で真実が・・・。「良くこいつにバスケットさせましたね?」、「いや困ったなと思ったが、こいつがやりたいというのは珍しいからね。なんとかしてみるかと俺も挑戦だった」と話していたのです。当時から合理的配慮をしていただき感謝しています。

家庭内に悪魔の種が・・・

学校では少しでも積極性を養おうとしてくださっているのに、家では逆なのです。私の家にはゲーム機があったのです。約束をした時間以上したので禁止し隠すこれは普通です。しかし、ゲームをしているのは友人で会って私ではありません。さらに叩かれ、大声で叱責、それを帰ろうとした友人が聞いてこなくなりました。そのころから、お前は遊ばなくていい。訓練と勉強だけしておけばいいといいだし、精神的破壊までするのです。「失敗したゲームさせないで勉強だけさせればよかった」など悪魔化が始まったのです。悪魔は中卒で自分で身に着けたり調べたりすることなく受け売りの知識をあたかも自分で習得したかのように話すのです。 皆様は絶対にこうはならないでください

お願い(まとめ)

  • 自分の考えが絶対正しいとは思わないで
  • 躾という名の恫喝、暴行はやめて
  • プラスの経験を積ませてあげてください